2012年10月23日火曜日

手に汗握る地上12mでの迫真の演技   -大脇の梯子獅子 豊明市-

梯子獅子「藤下り」
こんにちは。
連日の更新で「お祭りには飽きた」と少々食傷気味の方もいらっしゃるかも知れませんが、秋祭り真っ盛りの季節なんで許してくださいね。
私にとって、祭りを訪ねるということは伝統文化を訪ねることであり、継承される努力をなさっている方にエールを送るとともに、ひとりでも多くの方に日本の奥深さを知っていただきたいという信念なのです。
その多くが「重要無形民俗文化財」と呼ばれるもので、“無形”の名が示すとおり、継承する努力を怠れば消えていく可能性もありうる行事なのです。


獅子頭
国や県、自治体のわずかな予算が割りあてられていたとしても、地域の人たち、あるいは「保存会」の人たちの努力によって守られてきただけにすぎません。
過疎化によって消えてしまった祭りも少なくないと聞きます。
そんなことになる前にひとつでも多く観ておきたい、そして伝えたいと願うばかりなのです。
ってな、少し大げさで偉そうなことを言ってしまいましたが、まぁ、ただのお祭り好きのオバサンのブログですから気軽に読んでいただければ嬉しいのですが・・・(^_^.)


歌舞

さて、余計な前置きはこれくらいにして、今回ご紹介する祭りも、またまた迫力満点のお祭りですよ(^o^)/
その名も「梯子獅子」
日本各地で“獅子舞”を観ることができると思いますがすが、なんてったって地上12mの高所で命綱もつけないで舞われる獅子舞なんて、そう観ることができないでしょう。
今日ご紹介するのは、ハラハラドキドキの連続、手に汗握るスリル満点の獅子舞なのです。


櫓と舞台
この祭りが行われるのは愛知県豊明市、名古屋市に隣接する小都市です。
近年は、名古屋市のベットタウンとして発展を続けていますが、まだまだ田園風景が広がる長閑なところですが、その昔は「桶狭間の合戦」の舞台ともなった地域でもあります。
今回の祭りの舞台となる「大脇神明社」は、江戸時代、大脇村と呼ばれていた地域の氏神様で、こじんまりとした神社ですが境内は広く、梯子獅子の大掛かりな舞台装置と広い観客席が余裕で楽しめる広さがあります。


幣舞



“獅子舞”自体の歴史については以前にも解説した通り、大陸からの伝来とされ、散楽(さんがく)となり、やがて神楽(かぐら)に枝分かれし、旅芸人によって広まっていったものです。
神楽=獅子舞ではありませんが、神楽において獅子舞は花形であり、したがって獅子舞の形態を残した祭礼がもっとも多く伝承されてきたといえるでしょう。
やがて、それぞれの地方に祭礼として根づいた“獅子舞”ですが、その意味合いは地方によって異なります。


お供物

海辺の村であれば漁に関するもので“豊漁祈願”や“安全祈願”であり、里山であれば“五穀豊穣”や“雨乞い”といった農事に関わるものが多いようです。
秋祭りに関して言えば、一般的に“豊作の感謝”といった意味合いがつよく、稲刈りも終わり農作業も一息つけるこの時期に村人が集まり、互いの労をねぎらい豊作を祝う行事とされています。
「大脇梯子獅子」においても、そういった意味合いで行われる奉納祭事なのだそうです。

余談ですが、日本の獅子舞には、大きく分けて伎楽(ぎがく)系と風流(ふうりゅう)系の二つの系統があるそうです。
おおまかに区別すると伎楽系は、胴幕の中に二人以上の人が入って舞う「二人獅子舞」が中心で、中部地方以南に多くみられ、風流舞は、関東・東北地方などで行われている鹿舞(ししおどり)と呼ばれるもので、鹿の頭をかぶり胸に太鼓を付けた一人舞い、太鼓を打ちながら踊るものが多いそうです。
「大脇梯子獅子」は、二人以上で行われる獅子舞ですから伎楽系の獅子舞といえるでしょう。

では、「大脇神明社」例祭の奉納芸能「大脇梯子獅子」についての歴史などをかいつまんで紹介しましょう。
「大脇梯子獅子」の始まりは約400年前といわれていて、現在の名古屋市中村区大秋町あたり、“則武之庄大秋村”から伝わったというのが定説です。
「大脇神社」での祭礼奉納として“梯子獅子”が文献に登場するのは宝暦年間(1751年~1764年)からで、大脇村の庄屋相羽養元が大いに奨励したため盛んになったと伝えらています。
言い伝えによると、この大脇村の庄屋さん、相羽養元は自分の邸内に櫓を立て、若者を集めて練習させたというのですから大した熱の入れようだったのですね。
しかし、この頃はまだ豊作の年だけに行われていただけで、凶作の年ともなれば祭りなどにかまけてはいられなかったのでしょう。

一時期、中断期間はありましたが、明治22年に“梯子獅子”の中断を嘆く同士が集まり、復興をめざし、後継者の育成に努力を重ねた結果復活をとげ、現在も「大脇梯子獅子保存会」によってその芸が守られているそうです。
団結と努力、これが伝統芸能を守り継承していくには欠かせないキーポイントなのですね。



それでは、この日の祭り風景へとご案内しましょう。
私が、会場になっている「大脇神明社」に到着したのは午前10時半。
はっきりとした日程を把握してなかった私は、とりあえず午前中に行けば間に合うのだろうと家を出たのですが「大脇神明社」は、まだ閑散としたものでした。
どうやら早すぎたようです(-_-;)
しかし、会場になっている境内には、すでに丸太で組まれた高くてしっかりとした櫓が組まれていて、やがて始まる“梯子獅子”に私の期待感は高まりましたよ。



見渡せば、櫓と舞台の前には観客席用のビニールシートが敷かれています。
フムフム、ここに座って観るのね、とひとり納得して、とりあえず社務所に向かい何時からの開始なのか尋ねたところ、午後1時からとのこと。
まだ2時間半も先なのか・・・
仕方ないのでお参りを済ませ、辺りを散策したり写真を撮ったりしていると、次々と軽自動車が現れ、座布団や毛布、小さなテーブルにお弁当や飲み物を運んではビニールシートの上に並べては消えていきます。
・・・ん?どうやら場所取りのようです。
そうなのか!あのビニールシートは観客用というより、地元の人の宴会席なのですね。
地元の人の地元の祭り、別に観光客など気にしない!この感じが決して嫌じゃありません。
むしろ凄く好きともいえるかな、だって、それだけ自分たちのお祭りを楽しんでいるっていうことですから、この祭りは消えて無くならないと安心できますもの。


観光客は、フラ~っと来てフラ~っと消えるだけの人達ですものね。
“祭りや伝統”を守るには、いろいろ方法があるけれど、大々的に宣伝して多くの人に知ってもらうことばかりが優先ではないのですね、こんな感じのローカルな雰囲気も大事にしたいなぁ~などと、やや矛盾したことを考える私なのですが・・・どうなんでしょう(^_^.)

まぁ、それはそれとして2時間半、仕方ないので車でお昼寝(-_-)zzz
開始時間も間近となり、駐車場も賑やかになってきたので出てみたのですが、子供たちが露店に群がっているばかり・・・ほかは、私のようなとカメラを持った“ヨソモノ”ばかりです。
いよいよ祭りが始まったのに、場所取りをした方々は一向に来ないのです。



ビニールシートの宴会席には、ポツリポツリ2~3人が座っているだけです。
まあ、それは地元の人あっての祭りですし、前列でカメラを構えてジャマになってもいけないので文句はないのですが、観客が少なすぎては演じている人に気の毒のような気がします。
しかし、そのうち理由が解ってきました。
この祭礼は、午後1時から始まり、夜8時頃まで続くという長丁場なのだそうです。
宴会席が盛り上がるのは陽も傾く頃。
同じ演技は繰り返されるので、始めから見ていなくても大丈夫らしいのでした。


梯子獅子「種まき」

さて、“獅子舞”はというと、地元の子供たちによる祭囃子から始まりました。
軽妙な祭囃子に、これから始まる“梯子獅子”への期待が高まります。
続いて舞台の上では御祓い神事が行われ、いよいよ獅子舞が始まります。
最初は、“幣舞(ぬさまい)”と呼ばれる獅子舞から始まりました。
この獅子舞は舞台の上でのみ行われ、梯子に登るわけではありません。
最初に行われる獅子舞ということで、悪魔払いの意味があるそうです。
“幣舞”は、“ばばさ獅子”という獅子頭が用いられ、幣(ぬさ)と呼ばれる祭具と鈴を持ち静かに舞われます。
こういった順番にも祭祀としての意味があるのですね。
次は、“歌舞”と呼ばれる獅子舞で、これも梯子には登りません。
“幣舞”に比べると少し激しい舞になります。



そして、いよいよ“梯子獅子”の登場です。
獅子頭は“おとこ獅子”と呼ばれるもので、先ほどの“ばばさ獅子”の獅子頭より少し小振り。
横で演奏される軽妙なお囃子にのって、赤と緑の胴幕で現れた獅子は軽業のようなコミカルな動きをします。
薄い胴幕は、高いところでの演技において視界をよくするためと少しでも軽いほうが動きの妨げにならないためでしょう。


ひとしきり舞台でのコミカルな演技を披露した後、51段の梯子(地上12m)を登っていくのですが、なんと一人を肩車に載せたままで登っていくではないですか(@_@;)
梯子を登る間にも片手を離して手を広げたり、お囃子に合わせて身体を揺らしたり、それはハラハラドキドキの連続です。
頂上の丸太に乗り移ると、踊りながら隅から隅へと軽妙に動き回ります。
そして、クライマックスの「藤下り」という技を披露。
「藤下り」とは、二人揃って丸太に足をかけ手を離して宙ぶらりんになる芸で、観客からは悲鳴のような感嘆の声があがり、その後拍手喝采が沸き起こります。
私も一瞬ヒヤリと背中に寒いものを感じ、無意識に声をあげていました(~_~;)
とにかく凄い!二人の息が合ってないと決して出来ない演技です。


歌舞「剣呑み」
もう、この時点で私は興奮状態、カメラなんて撮ってる場合じゃない!って感じです。
やがて櫓の上での演技が終わると、舞台右側に用意された2本の丸太の滑り台を踊りながら滑って降りてくるのですが、これもまた珍しい光景で楽しくなってしまいます。
いや~素晴らしいです。
上手く説明できないのがもどかしい・・・(>_<)
これは、ぜひ皆さんにも見せてあげたいです!



その後は、また“立ち舞”や“歌舞”の獅子舞が続くのですが、“梯子獅子”を見てしまったあとでは、なんだかつまらく感じてしまうのが演じ手の皆さんに申し訳ないのですが・・・(-_-;)
そして2回目梯子獅子の大技は、「波打ち」と呼ばれる芸で、一人が丸太の上でもう一人の身体をしっかり掴み、一人が波打つように身体を前に突き出すといった、これまたスリル満天の演技(@_@;)
またもや拍手喝采です。
この頃になると、地元の方も三々五々集まって来て、会場も賑やかな雰囲気になっていき、掛け声もかかり、おひねりも飛び交います。
いよいよ、祭りらしくなってきましたよ、楽しいですね。

“梯子獅子”の後は、また“立ち舞”や“歌舞”といった感じで交互に進行していきますが、やっぱり花形は“梯子獅子”なんでしょうね。
地元の皆さんも飲んだり食ったりに忙しいようすです。
そして、3回目の“梯子獅子”です。
3回目の“梯子獅子”の大技は「種まき」、肩車をしたまま下の人が片手片足でバランスをとって、身体を開いて種を蒔くしぐさをするのです。
何回も簡単そうにちょちょいとやってのけてしまうのですが、見ている方は、もう、ヒヤヒヤものですよ。
一応下にはネットが張ってはありますが、それでもやっぱり怖いです。
見ているだけなのに怖いのです。
演じている人達は平気なのかなぁ~

やっぱり日頃の練習が大事なのでしょうね。
祭りは、まだまだ夜まで続きますが、ひと通りの演技を見せていただいたので、この日は帰ることにしましたが、いや~、今回の祭りも素晴らしかったです。
手に汗握るスリルと迫力、なかなかこんなお祭りには出会えませんよ。

補足ですが、愛知県には、県指定重要無形民俗文化財として、もうひとつ知多市で行われる「朝倉梯子獅子」と呼ばれる“梯子獅子”があります。
どちらかといえば、「大脇梯子獅子」よりも知名度は高いのですが、今回私は敢えて「大脇梯子獅子」を選びました。
その理由は、県内の人にもあまり知られていないこと、そして、より地元の祭りといった風情を強く感じられるのではないかという期待からです。
そして、その期待を裏切らない地元に密着したお祭りでした。
まさに、隣近所の人たちが寄り集まって一年の労をねぎらい、互いに食べて飲んで楽しむ、そんな風情たっぷりなお祭りでしたよ。
どうですか?
皆さんも見たくなったでしょう?

私も次にまた、このお祭りを見る機会があったら、その時はお弁当持参でビニールシートの桟敷に座って楽しんでみたいなぁ~なんて思ってしまいましたよ。

今回も長々と書いてしまいましたね。
最後までお付き合い下さってありがとうございました。
ではまた、次のお祭りでお会いしましょう(^o^)/






1 件のコメント:

  1. この祭りの見所は最後の部で行われる「一本竹」「吊るし竹」だそうです。今度行かれた時、楽しんで下さい。

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