2011年12月26日月曜日

伊勢大神楽 増田神社

神来舞

好天に恵まれたの土曜日、私は友人と一緒に桑名市の増田神社に出掛けました。
クリスマスイブに、なぜ神社?って話なんですけど、この日は毎年、増田神社の境内で、伊勢太神楽が奉納される日なのです。
伊勢太神楽とは、伊勢神宮に参詣できない人達に代わって神楽を奉納する神事で、国の重要無形民族文化財に指定されています。
増田神社で行われる伊勢太神楽は、伊勢太神楽講社によるもので、普段は6組の社中が西日本を中心に全国を回っているそうです。
その6組の社中が、12月24日に本拠地の増田神社に集合し、総舞を奉納するのです。


四方の舞

これは、必見の価値あり!ってことで、私と同じくクリスマスイブだというのに、なんの用事もない暇人と連れ立って桑名市まで行ったわけですよ。

12時半からの開始ということなので、11時頃に到着した私達は、のんきに昼食をして12時過ぎに増田神社に入ったのですが、神社の境内は、すでに満杯状態(@_@;)!
増田神社は、小さな小さな神社だったのです。




その小さな神社の境内に、約200人以上の人々が集まってるのです。
一瞬たじろぎましたが、ここで、ひるんでいたのでは、ここまで来た意味がありません。
こういう場合には、躊躇なくおばさんに変身できる私は、おばさんパワーを発揮して人波を掻き分け、なんとか桟敷席を確保しました。

吉野舞




いよいよ、伊勢太神楽のはじまりです。
太神楽は、悪魔祓いと清めの神事である「舞」と、曲芸や万歳など娯楽性の高い放下芸を演目とした「曲」に分かれています。
「舞」の合間に「曲」と呼ばれる軽業や曲芸が組み込まれ、観客を飽きさせません。

玉獅子の曲


「曲」には、チャリと呼ばれる道化師が出てきて、放下師と呼ばれる曲芸師と万歳を繰り広げ、観衆を巻き込み笑いの渦に引き込みます。
蛇足ですが、あの「いつもより余計に廻っております」の海老一染之助・染太郎さんの曲芸も神楽芸だそうですよ、若い方は、ご存知ないかもしれませんが・・・(~_~;)
献燈の曲



勇壮な獅子舞や愉快な曲芸に見とれていた私達ですが、やがて桟敷席の居心地の悪さに耐えられなくなってきました。
砂利の上にゴザを敷いただけの桟敷席は、狭いし、痛いし、冷えるしで、もうどうにもなりません。
そのうえ、朝は晴れ渡った青空だったのに、やがて寒風が吹きすさび、みぞれまじりの雨がポツポツときたのです。
頑張って確保した桟敷席でしたが、あえなく移動することに・・・(>_<)
またまた人波を掻き分け、一旦は人垣を離れましたが、ここで諦める私ではありません。
でも、立見席には、どこにもつけいる隙などない状態です。

跳びの舞


周囲を見渡せば、石に上る人、木に登る人、用意周到に脚立を持ち込む人、ここにも隙などありません。
いくらなんでも演技の最中では、おばさんパワーで人垣を掻き分けるような傍迷惑な行為はできません。
そこで、今度はジワジワ作戦に切り替えました。
人垣の後方から、少しずつ隙間を見つけてジワジワ割り込んでいく作戦です。

皿の曲



少々姑息な手段ではありますが、これにはテクニックが必要です。
あくまでも、さり気なく押されたフリをして、よろけて「ごめんなさい」と微笑めば、大抵の方は隙間を作ってくださいます。
これを、時間をかけて何回か繰り返し、絶好なポジションに辿り着いた私ですが、アレ?友人の姿がありません。
どこかで見ているだろうから、「まっいいか」と思ったら、はるか後方に呆れ顔の友人がいました。

風にも負けず、みぞれにも負けず、頑張って見学していたのですが、カメラを持つ手は悴んで思うように動かなくなるし、トイレの我慢も限界となり、鼻水も垂れてきた時点で、とうとうギブアップ。
一番見たかった最後の演技「魁曲」という「舞」と「曲」が合体した大神楽を見ることなく、車に戻りました。
「魁曲」というのは、まさしく大神楽のクライマックスといえる曲芸で、獅子が、振袖姿の花魁に扮し、軽業を披露したり、早変わりをしたりする、もっとも見せ場の多い演技です。

この芸を見るために、桑名まで行ったのに、見られないとは残念でなりません<(`^´)>
こうなったら、来年もトライするしかありません。

来年は、脚立に座布団、カイロ持参でいくぞ~!


2011年12月21日水曜日

葡萄畑の礼拝堂 多治見修道院

多治見修道院
早いもので、気がつけば、もう年末。
今年もあと10日、今週末はクリスマスですね。
皆さんは、どんなふうにクリスマスを過ごしますか?
きっと、家族や恋人と愉しく過ごすのでしょうね。
羨ましいですなぁ、私は今年も山下達郎の「クリスマスイブ」ですよ。
♪きっと、君は来ない~ ひとりきりのクリスマスイブ~♪
って、きっとも何も、待つ相手すらいないのですけどね・・・(~_~;)

葡萄畑

慣れてしまえば、ひとりの聖夜も悪くないものですよ。
ワインを開けて、チキン食べて、ケーキも食べて、ゴロゴロして・・・やっぱ侘しいです(-_-;)

そんなこんな?で、クリスマスも近いので、多治見修道院に行ってきました。
いちめんの葡萄畑に囲まれて、静かに佇む多治見修道院は、昭和5年にカトリック神言修道会の宣教師モール神父によって、建てられた修道院です。

岩窟のマリア像

そして、日本で唯一ワインを醸造している修道院だそうです。
多治見修道院は、地上3階地下1階のバロック様式の木造建築で、建物の床面積は、およそ3,000㎡もある大きな修道院です。
地下室は、ワインの醸造及び熟成、貯蔵庫として使われているそうですよ。
裏庭の木立の中には、岩窟のマリア像が静かに佇んでおられ、ここが宣教師や神学生の修練の場所であることを深く印象づけます。
大聖堂は、比較的簡素な造りですが、聖堂の脇に並んでいる副祭壇には、キリストの生涯を描いたフレスコ画が掲げられています。

私が訪れた日は、私以外に見学者もおらず、パイプオルガンの音が流れる静謐な空間をひとり静かに拝見させていただくことができました。


大聖堂

副祭壇のフレスコ画を鑑賞しながら中央祭壇に向かってゆっくりと歩いていき、キリスト像の前に立ったところで、私は戸惑ってしまいました。
困ったことに、私は正しい礼拝の仕方を知らないことに気がついたのです。
キリスト教徒でもないし、キリスト教系の学校出身でもないので、考えてみたら今まで礼拝の経験がなかったのです。
外国映画で見たように、祭壇の前でひざまずいて十字をきるべきなのでしょうか?
手の指を組み合わせて、「アーメン」と唱えるのでしょうか?




誰も見ている人がいるわけではないのに、あたふたしてしまった私は、慣れないことをする勇気もないので、ただ普通に合掌して、そそくさと祭壇から離れました。
もちろん間違った礼拝だとは承知していますが、手を合わせ敬い祈る気持は、どんな宗教であれ同じだと思うのです。
神様もきっと笑って許して下さるでしょう(^_^;)


ログハウス(研修センター)


それにしても、先回の豊川稲荷の件といい、今回の教会の件といい、無知な自分を恥ずかしく思いました(>_<)
次回は、南山学園出身の姪に礼拝の仕方を教えてもらってから行くことにします。
南山学園といえば、ここ多治見修道院と同じカトリック神言修道会の運営する教育機関だそうです。




私は無神論者ではありませんが、特定の宗教に深く帰依したこともありません。
しかし、寺院に行っても、神社に行っても、教会に行っても、神聖な気持ちになることに変わりなく、その時その瞬間は、真摯な気持で手を合わせます。
おそらく、日本人の8割くらいは、私と同じような宗教観をお持ちだと思います。
キリスト教徒でもない日本人が、クリスマスだのハロウィンだのと騒ぐことは、おかしなことかもしれません。
でも、おおらかな気持ちで宗教に関わるのも悪くはないように思います。



礼拝の仕方も分からないトンチンカンな私ではありますが、多治見修道院の大聖堂に身を置き、キリスト像を前にした瞬間は、身を清められた心地がしました。
罪深き人々よ!懺悔を!なんちゃってね、失礼しました。

では、皆さん、素敵な聖夜を!
少し早いけど、Merry Christmas!






2011年12月15日木曜日

名古屋大佛 桃巖寺

龍宮門

ここは、千種区四谷通にある桃巖寺。
本山から、名古屋大学方面へ向かう登り坂道の途中に、静かに佇むお寺です。
織田信秀(織田信長の父)の廟所がある、曹洞宗の由緒正しきお寺なのですが、なにやら怪しげなお寺としても有名です。

まあ、怪しい話は後にして、四谷通といえば、バブル時代は山の手のおしゃれスポット、現在は学生街といった感じの町なのですが、ここ「桃巖寺」は、通り沿いにありながらも通りからはあまり目立ないため、知らない人も多いかと思います。


宝 憧

表通りから境内に向かっていく小路は、いい雰囲気、エキゾチックな趣きのある山門もいい感じ。
山門をくぐって左に折れると、また山門。
この山門は、上部が鐘楼になっている龍宮門。
あまり見かけない門ですが、周囲の木立に解け合って、浮いた感じはありません。
そのまま、まっすぐ進んで行くと突き当りに、二本の柱のような物が立っています。

慕情観音


「宝幢」というものらしいのですが、その横にある看板には「宝憧の歌」とあり、変な歌詞が書かれています。
ん?この辺から、なんか違和感を感じ始めます。

そして、その「宝憧」の左側を見ると150㎝くらいの観音立像がありました。
観音菩薩像の種類としては、聖観音像の形をしておられますが、横にあるお約束の説明書きには、「慕情観音 眺めているだけで思い出すことがある」とあります。
「慕情観音」というのは聞いたことがありませんけど・・・?
これは、ご住職の命名なんでしょうね。


名古屋大仏


そして、その「宝憧」を右に折れ坂を下っていったところに、「名古屋大仏」があります。
結構な大きさの大仏様なのですが、見てびっくり(゜o゜)!
思わず、2歩ほど後ずさりしてしまいました。
写真のとおり、凄まじいグリーン色。
白毫と唇と耳だけ、金色に輝いているのが、奇妙な感じです。
大仏様の台座って、普通、蓮の花じゃなかったかしら?菩提樹なのかしら?
大仏様の周りを「象」と「修行僧」が取り囲んでいるし、鹿や孔雀がいたりして、なんか変。

本堂


象に乗った普賢菩薩様なら見た事あるけど、象に囲まれた大仏様は見たことないし・・・。
一応、手を合わせたものの、色のせいか、この大仏様には、あまり「ありがたさ」を感じることができませんでした(-_-;)

このお寺の境内には、まだまだヘンテコリンなものが点在しています。


弁財殿


本堂は、落ち着いた感じで佇んでいて、お庭も素敵なんですけど、ところどころに理解不能の物体があります。

本堂の横には、「ラマ教寺院」のような変わった建物もあります。
この建物が、「弁財殿」と呼ばれている建物で、この中に、とてもセクシーな「ねむり弁天」様がおわすそうな。
そのほかにも、ちょっとエッチ系の神様像がいっぱいおわすそうですよ。




聞くところによると、このお寺のご住職がインド旅行に行った際、ヒンドゥー教の神々に魅せられてしまっって、「リンガ(男根)」像や「歓喜像」などを集められたそうです。
1,000円の拝観料を収めれば、拝見させて頂けるのだそうですけど、独身の私には目の毒なので、やめておきました。



ちなみに、弁天様は「芸事の神様」とも言われているので、芸能人の方々も拝観にいらっしゃるそうですよ。
ご興味がある方は、1,000円支払って拝観なさってはいかが?

2011年12月13日火曜日

お魚を求めて 知多半島

さばの干物

朝夕の冷え込みも厳しさを増し、いよいよ冬到来ですね。
冬と言えば、お魚の美味しい季節。
「美味しい魚が食べたいなぁ」って事で、クーラーボックスを積んで知多半島に向かって車を走らせてみました。
向かったのは、美浜町の「魚太郎」
行ったことはないけれど、以前テレビで見て、「行ってみたいな」って思っていたところです。
できれば、「地元で獲れた近海魚を食べたいなぁ」なんて期待をして向かったのですが、着いてびっくり!大変な混雑ぶりで駐車場も満杯(゜o゜)
メジロの干物




なんと、観光バスまで何台も並んでいるではないですか!
こりゃダメだ(>_<) 一気にテンション⤵
なんとか車を駐車して、店に入ったものの、食事処は、やはり満杯、空き待ちの長蛇の列です。
もう、午後1時半、お腹はペコペコだし、ほかの店を探そうにも空腹で思考力もダウン。
諦めて屋外の簡易食堂で、使い捨て食器に入った「海鮮丼」を食べました。
不味くはなかったけれど、私の食べたかったものじゃないし・・・残念(-_-;)

それでも、満腹になったところで気を取り直して、もう一度店内の直売場へと向かいました。
みる貝の干物

実は、知多半島まで行ったのには、訳があります。
それは「メジロの干物」を買うためです。
「メジロ」とは「目白穴子」のことなのですが、知多半島では「穴子の干物」とは呼ばず、「メジロの干物」と言います。
ちなみに、これが、いけるのですよ!(^^)!
ほんのちょっとだけ、オーブントースターなどであぶって食べるのですけど、滋味豊かな味わいの干物なんです。
地元では、メジャーな干物なんですけれど、なぜか名古屋にまでは出まわらないのです。
ちょっと、お値段が張るのですが、一度食べたらヤミツキですよ。




望みの品を手に入れ満足し、今度は食べられなかった地魚を求めて、鮮魚売り場に行きました。
鮮魚売り場の人集りは、どこの市場に行っても「まぐろ」のコーナーですね。
私も「まぐろ」は好きですが、どちらかと言うと赤身の魚より白身魚が好みなので、人混みを避け通り過ぎました。
それにしても、日本人は、本当に「まぐろ」好きな民族ですよね。
この勢いが、「まぐろ」の乱獲につながってしまうのだろうな。
ほかの魚も美味しいのに・・・(=_=)

子持ち昆布

さて、鮮魚売り場です。
私のお目当ては、刺身用の白身魚です。
できたら「鯒(こち)」か「カワハギ」が欲しいなぁと期待して行ったのですが、この日は、どちらも煮魚用しかありませんでした。
「鯒」や「カワハギ」は、煮魚にしても充分美味しい魚なのですが、どうしても刺身が諦めきれず、鮮魚は別の店をあたる事にしました。


豊浜港




そのほか、店内には正月用の「数の子」なども販売され、みなさん買い求められていました。
私は、ちょっと変わったところで「子持ち昆布」にしてみました。
あちらこちら見て廻っていたら、「みる貝の干物」なるものを発見しました!
う~ん、なんか惹かれるなぁ(゜.゜)
貝好きな私としては、見つけてしまった以上、避けて通れません。
正月用のつまみにしようと、取りあえず買ってみました。
どんな味か楽しみです(^^)/
最後に、出入口で売っていた大きな「さばの干物」を買って、「魚太郎」での買い物は終了。


地蛸の煮つけ

地魚の刺身を求めて、通り沿いの魚屋さんを何軒か廻ってみましたが、お目当ての刺身には出会えず、豊浜港の「魚ひろば」に辿りつきました。
「魚ひろば」も昔は活気があったのですが、今は閑散としていました。
お目当ての「カワハギ」も売ってるには売っていたのですが、やはり煮魚用で、しかも美味しい肝が抜かれた状態で売っていたのです。
大あさり






これでは、買う気がしません。
昔は、トロ箱に入った地魚がいっぱい売っていたのになぁ。
今は、「あさり」以外は、冷凍ものばかりになっていました。
「いくら」や「たらこ」、「ほっけ」や「金目鯛」の干物って、この辺では獲れないでしょう?
ガッカリしたけれど、美味しそうな「地蛸の煮つけ」があったので、それを買って帰途につきました。

これで、知多半島お買い物ツアーは終了。
お刺身は買えなかったけれど、その日の晩は、大きな「さばの干物」と「地蛸」で一杯。
美味しかったですよ(*^^)v

2011年12月10日土曜日

絞りの町 有松




名古屋市の町並み保存指定第1号となった緑区有松町の町並みには、当時の繁栄を誇る豪奢な建物が残っています。
この町は、「絞り染め」を生業に栄えた町で、「東海道五十三次」の池鯉鮒(ちりゅう)宿と鳴海(なるみ)宿の間に位置します。
有松は、宿が建ち並んでいたわけではないので、宿場町ではありません。
しかし、全長800m程のこの町は、江戸時代、東海道を行き交う人々の土産品「有松・鳴海絞り」を販売したことから大いに栄えたそうです。



「有松・鳴海絞り」は、おもに木綿製品を扱かっていたので、、手ぬぐいや浴衣など比較的安価でもあり、旅人にも求め易く、手頃でめずらしい「土産物」として大変人気があったそうです。
また、尾張藩が藩の特産品として手厚く保護し、ほかの地域での生産を禁じたため繁栄は長く続きました。
そんな訳で、有松の「絞り染め」を扱う商家は益々繁盛し、豪商となっていったそうです。



有松町の商家は、どの屋敷も、とても大きいのが特徴です。
なんとも広い間口に、往時の繁盛ぶりを窺い知ることが出来ます。
ただ、大きいというだけではなく、シンプルな造りながら豪奢な感じが漂います。
邸内まで、公開されている屋敷はありませんが、その外観から「推して知るべし」です。



しかし、その大きな商家に現在も住まわれ、商売をされている方にお話しを伺ったのですが、文化財に指定されたがゆえの御苦労が多々あるそうです。
そのお宅は、現在、塀の修繕をされているのですが、塀ひとつ修繕するのも、役所に修理の申請をして許可を待ち、変更でもあれば、また申請して許可を待ち、もう半年以上、工事にかかっているそうです。
何事も、お役所仕事で、のらりくらり、そのくせ補助金など雀の涙ほどで、工事費用の足しにもならないそうです。
文化財に暮らすことは、大変なんですね(>_<)



ところで、みなさんは「絞り」の製品を何かお持ちですか?
家じゅう捜せば何か見つかるでしょうが、現代の若者にとって「絞り」の認知度は低く、人気があるとは言えませんよね。
ファッションアイテムとしては、やはりどこか古臭い感じ、垢抜けないイメージであることは否めません。





いまや、浴衣といったら、中国で大量生産された安価で、けばけばしい色どりのものばかり。
藍染の、絞りの浴衣を着た若い女性など、見かけることもなくなりました。
かく言う私も、絞りの浴衣は持っていませんけど・・・。
しかし、「有松・鳴海絞会館」で見た浴衣に、私はビビッときましたよ(@_@)
かっこいいじゃないですか!
ゴテゴテした花柄の、ペラペラの安物浴衣ばかり見慣れてしまった目には、今、また新鮮に感じられました。
こんな素敵な浴衣を粋に着こなしたら、注目を浴びること間違いなしです。
目立ちたい若者よ!注目されたかったら、伝統工芸の品格で、粋を極めるのだ!
って、私が大声出したところで、誰も聞いてはくれないとは思いますが・・・。

絞りの浴衣は持っていませんが、絞りの着物なら持ってますよ。
残念ながら有松絞りではないですけど、鶸色(ひわいろ)の「鹿の子絞り」のシンプルな着物なので、帯さえ上手く選べば、少々派手な色であっても、まだ着られそうです。
長年、箪笥の奥で眠っていた着物ですが、今日の町歩きで思い出しましたよ。
お正月に、引っ張り出して着てみようかなぁ(*^^)v

2011年12月5日月曜日

丈山苑 石川丈山、その風雅な世界

丈山苑 唐様南庭園

「みなさんは、石川丈山という人物をご存知ですか?
石川丈山は、江戸時代初期の文人で、儒学者にして能書家、漢詩人であり茶人、そのうえ作庭家でもあったという、多彩な才能を持った人物です。
もともとは、徳川家康の近侍でもあった勇猛な武人でしたが、武功を認められなかったため、あっさりと武士を辞めてしまったというエピソードの持主でもあります。
十代、二十代のころは武芸一筋に生き、三十代になってから儒学を学び、ついには文武ともに優れた人物として名を成した人です。



母を養うため、再度仕官しますが、母が亡くなると、またもや、あっさりと武士を捨ててしまい、隠遁生活を始めたそうです。
その隠遁生活を送った場所が、京都市左京区にある「詩仙堂」です。

しかし、今回は、京都の「詩仙堂」ではなく、石川丈山の故郷、安城市和泉町にある「丈山苑」を紹介したいと思います。
なぜ、「丈山苑」なのかって?
その理由は、その建物及び庭園が京都の「詩仙堂」を模して造られたものだからです。
「丈山苑」は、平成8年に完成、公開された建造物です。



「丈山苑」の造営に至る経緯については、私の知るところではありませんが、私には、ただ単に郷土出身の偉人だからという理由で建造されたのではないように思えるのです。
そこには、丈山の故郷としてのプライドが滲み出ています。
本来、「詩仙堂」はここにあるべきなのだという強い主張、たとえ都で暮らし故郷には帰らなかった人であっても、故郷を捨てた人ではないということを伝えたかったのではないかと、勝手に推察してみました。




その根拠は、「丈山苑」の佇まいにあります。
「詩仙堂」に勝るとも劣らないその佇まいは、風格と気品に満ち、庭園においては、「詩仙堂」庭園かと見紛う程に忠実に再現されています。
唯一、足りないものと言えば、歴史だけなのです。

ここまで、「詩仙堂」を忠実にコピーすることについては、賛否両論あるでしょうが、私は好意的に受け止めたいと思いました。

石川丈山

京都の観光名所である「詩仙堂」ではなく、郷土の偉人、石川丈山その人を知ってもらいたいという気持ちが伝わってくるからです。

さて、「丈山苑」に対する私的見解は、この辺で終わりにして・・・。
私が訪れた日は、小雨降る土曜日。
雨に濡れた石段を登って行くと、そこは今まさに紅葉の盛りとなった楓のトンネルがありました。
京都の「詩仙堂」といえば、言わずと知れた紅葉の名所です。
紅葉の季節ともなれば、「詩仙堂」は、多くの観光客でごったがえしていることでしょう。


紅葉のトンネル


そんな中、私は「詩仙堂」庭園とそっくりな「丈山苑」の庭園を、ほぼ独り占めで拝見してきたのです。
なんとも贅沢なことでしょう(*^^)v

「丈山苑」の見どころは、庭園だけではありません。
「丈山苑」には「詩仙堂」と同様に「詩仙の間」呼ばれる、四畳半程の部屋があります。
そこには、「三十六歌仙」を選定した藤原公任に倣って、丈山と林羅山が選定した中国の漢詩人三十六人の肖像画が掲げられています。
つまり「三十六詩仙」ということですね。
「詩仙堂」の名の由来は、ここからきているのです。

詩仙の間


「詩仙の間」に掲げられた肖像画は複製ですが、実物は、狩野探幽の絵に丈山が書を描きこんだと伝えられるもので、重要美術品として徳川美術館に収蔵されているそうです。

写真のとおり、「詩仙の間」の長押(なげし)に、ずらりと並んだ36枚の肖像画は、凝った空間演出ですが、決して華美な感じではなく、「学び」の人であった、丈山の知性が感じられます。





このように美しい「丈山苑」ですが、残念なことに、あまり多くの人に知られてはいません。
この美しい紅葉の庭園を独り占めにしたいのなら、今がチャンスですよ(^_-)
庭園を眺めながら、お抹茶もいただけます。
みなさんも、来週あたり、お出かけしてみたらいかがですか?

では、最後に丈山が、望郷の想いを詠んだ「詠懐」という漢詩とその解釈を紹介します。



我が故郷の三河国には、なお遠く、今回の定めた新居は、京都五山のひとつ相国寺の近くである。
仕官の途をあっさり放棄して、天然のうちに心を遊ばせることとし、倫理・道徳の行われない俗世を見限って、それは自分の心の中にしまいこみ、自然のままの本性を大事に生きることとした。
少游が質素なくらしに自足した、あの態度をできるだけ見習い、栄啓期が「貧しいのは士太夫の常態だ」といったように、我が身の貧乏なことを、ちょっとばかり忘れることにした。
これからは、なんとか持病の養生を心がけて、世間から隠れ住むこととし、我が心のおもむくがままに生きて、生涯を終えようと思う。
この年齢になるまで、妻子というものがないから、子孫のことを心配しなくてもよい。この世の鬼や神などというものも、自分には関心のないことだ。
ましてや世俗のにぎわいなど、まったくありがたくない。門前に来訪者の車馬が位置をなすような権勢栄華も、自分には、はかないちり一つといった程度にしか思われない。

【以上、「丈山苑」で頂いた、漢詩についての解説をそのまま引用させて頂きました】