2013年4月21日日曜日

いにしえの社に伝承される古代舞楽  -遠州森町 小國神社 十二段舞楽-




二の舞

こんにちは('▽'*)/

今年は桜の開花も例年より早かったせいか、藤や躑躅の開花も早くすっかり春爛漫気分。
私の住む名古屋では早くも25℃を超える夏日も観測され、もう毛布もいらないだろうと洗濯をしたとたん、寒の戻りがやってきました(>_<)
“三寒四温” とは、よく言ったもので春は行きつ戻りつゆっくりとやって来るものですね。




色 香

そんな麗らかな春の日のあとにやって来た小雨そぼ降る寒い日に、一年間待ち焦がれたお祭りを見るために私は東に向かって車を走らせました。
目的地は、遠州森町。
私が生まれた浜松市のお隣の町ですが、なにせ浜松で暮らしたのは幼少期までなので、お隣の町とはいえ、なにも知りません。
以前には、森町の威勢のいい「森のまつり」をご紹介しましたが、あのときが初めてで今回が2回目の訪問です。




鳥の舞

森町といえば “森の石松” を連想なさる方も多いかと思います。
「石松まつり」なる今風に言うと “コスプレ” 祭りもあるようですが、こちらは興味がないのでパス。

さて、今回訪れたのは由緒ある遠江(とおとうみ)の国一宮・小國神社の例大祭であります。「森のまつり」のような賑やかなお祭りではなく、厳かな祭祀のご紹介です。




番外 花の舞

「小國神社」の創建は神代の時代とも言われ、“続日本書紀” に登場するほどの歴史と格式を誇る神社です。
その “続日本書紀” に登場するのは、承和7年(840年)ですが、延宝8年(1680年)の社記によると欽明天皇の時代(555年)に本宮峯(本宮山)に御神霊が鎮斎せられたとの記述があり、およそ1450年にも及ぶ歴史があるそうです。
また、その敷地たるや30万坪!



参道から社殿を望む

なるほど!と、唸らせるほど深い山々、樹齢は500年以上は超えるであろう木々に囲まれた境内にある本殿は明治期の焼失により再建されたものですが、総檜皮葺で荘厳という言葉だけでは言い表せないほどの威厳がありました。
本殿の他にも摂社、末社などを含めた構造物の数は50を超えるそうです。 




社殿と神楽殿

こんなことを言うのも不謹慎ですが、まさかこんな田舎にこんな立派な神社があるとは、夢にも思っていない私は、もうビックリ(@_@;)
ネットで調べた祭りの情報には駐車場700台とあったので、近所の小学校の校庭でも臨時の駐車場になっているのだろう、それにしても多いなぁ~くらいに考えていたのです。
まさかこんなに大きな神社とはつゆ知らず、かなりナメていたもんです、失礼しました。
祀られている神様の事についても書こうと思いましたが、なにしろ歴史ある神社であり、長くなりそうなので今回は割愛させていただきます。

記念撮影

では、今回の祭祀の説明から始めましょう。
小國神社の十二段舞楽は、天宝元年(701年)2月18日、勅使が奉幣したときに舞ったのが始まりだと伝えられているそうです。
記述によると、江戸時代からこの神社の大禰宜(ねぎ)鈴木左近家が代々指南役として氏子を指導してきたそうですが、明治時代以降は鈴木家と氏子らで作る保存会員により伝承されてきたということです。

太平楽


ここ森町には天宮神社・小國神社・山名神社という3つの神社があり、それぞれの神社に異なった舞楽が伝わっていて、それら全部を総称して “森町の三大舞楽” と呼び、昭和57年に文化庁より「重要無形民俗文化財」に指定されました。

言うまでもないのですが、私は「重要無形民俗文化財」いわゆる伝統芸能を今まで可能な範囲で数々観てきました。
雅楽舞(舞楽)もまたそのひとつで、機会があればいろんな場所に出かけて行き鑑賞してきました。




新まっく

舞楽といえば、源氏物語の中で光源氏と頭の中将も舞った雅やかな踊りです。
笙(しょう)・龍笛(りゅうてき)・篳篥(ひちりき)といった雅楽器の優美な調べにのって美しい衣装をまとい、優雅に舞う・・・・

あれれ?ちょっと違うぞ!ここ小國神社で行われる舞楽は、いままで観てきた京風の雅やかな舞楽とはひと味ちがう、素朴で古式ゆかしい舞楽であったのです。



安 摩

舞楽の演奏でもある雅楽なのですが、小國神社の雅楽は横笛・鉦・太鼓だけというシンプルなもので、雅楽特有な微妙な音階はありません。
舞い自体も私の知っている雅やかな舞楽とは異なり、どこか滑稽さや遊び心がある楽しい舞いだったのです。
衣装は舞楽ならではの風雅なものですが、面はやや大きく、動きは舞楽のようでもあり、三河地方に伝わる田楽のようでもあるのです。
これには、驚きと共にとても新鮮さを感じました。

二の舞

雅なだけが舞楽じゃないぞ!そんなふうに頭をガチ~ンと小突かれた気がしましたよ。
勝手に光源氏を想像するからいけないのです。
勝手に高尚なものと決めつけるからいけないのです。
これこそ、飾り気のない伝承なのですね。
まさしく、ここでしか観られない伝統芸能と言えるでしょう。
以前にも説明しましたが、舞楽には大きく分けて、大陸系の舞いと朝鮮系の舞いがあります。


陵 王
もう一度、簡単に説明しますね。
左舞は、唐からの伝承(つまり中国系・おもに赤い衣装)、右舞は、高麗からの伝承(つまり朝鮮系・おもに緑あるいは青い衣装)です。
小國神社に伝わる舞楽は、おもに左舞のもので赤系の衣装、動きの激しい男性的なものが多かったようです。
先ほど森町には3つの舞楽が伝わっていると書きましたが、全部を観たわけではないので勝手なことは言えませんけれど、天宮神社で行われる “十二段舞楽” が右舞のものだそうです。

連 舞


青系の衣装でゆったりとしたテンポで優雅に舞う女性的な舞いであり、小國神社・天宮神社の舞楽が一対の関係になっているそうです。
天宮神社の祭りは4月の第1土曜・日曜に行われるそうで、もう終わっちゃっていました。
残念だなぁ~(-_-;)




色 香(太陽と月を表します)


さてさて、そろそろ当日の実況をしなくちゃいけませんね。
名古屋を出発したのは午前9時、土曜日とあって高速道路は少し渋滞。
まずは浜松市にある両親のお墓参り。
いつも、ついでの墓参りとは実にけしからん娘でごめんなさい<(_ _)>
でも、ゆっくりとお参りしてきましたよ。許してね、お父さんお母さん。
と、いうことで、この日(4月20日)、小國神社に到着したのは午後1時。
なにせ駐車場は700台もあるのですから心配はないでしょうとの見込み。


安 摩

予想どおり駐車場は余裕だらけ・・・にしても車が少ないです。
え?祭りなんでしょ、奉納舞楽があるんでしょ?
日にちを間違えちゃったのかしらと一瞬不安になったけれど、お天気も悪いし寒い日なので出足が悪いのね。
長~い参道を歩いていくと、ボチボチな人出だったのでひと安心。
観光案内のボランティアのオジサンに祭りのパンフレットを頂いて見回してみると、檜皮葺の立派な舞台が見えました。


陵 王

ボランティアのオジサンに今日の舞楽についての質問をしてみましたが、あまり芳しい返答は・・・。でも、一生懸命答えようとはして下さったのでお気持ちだけは受け取って、始まるまで境内を散歩することに。
清流が流れ、シャガの花が咲き乱れる小径は、山深くまで続いていて、それはそれは美しい景色です。
私の大好きな野鳥のさえずりも心地よく、晴れていたらバードウォチングには最適なところだろうなぁ~、楓の木も多く紅葉の季節はどんなに見事なのだろう、などと思いながらいつもの癖で、森の奥深くまで歩いて行ってしまいました。

保存会の人達

ありゃ、こりゃいかん!戻らなきゃ、舞楽を見過ごしてしまう(゜o゜)
て、ことで駆け足で舞台前に戻ったのですが、境内は先ほどより閑散としているではないですか。
どうゆうこと?
見物人が超少ない!
いるのは、十数名のカメラマンと10人足らずの見物人だけです。
保存会のメンバーやスタッフの方が多いくらいです。



やりたい放題のカメラマン、この頃には観客は私ひとり

確かに天候は悪いですよ、露店も出てないし子供には楽しい場所ではないでしょう。
しかし、重要無形民俗文化財ですよ、年に1度の祭祀ですよ。
そんな程度の感心しか持たれていないのでしょうか(=_=)
感心のない人に無理に見ろ!とは言いません。
でも惜しいなぁ~ 舞楽を観られる機会がそんなにないのに・・・。
まぁ、そんなことはどうでもいいのですがね、なにか嫌な予感はしたのですよ。

太平楽

いよいよ、始まりました!
しかし、この舞台を見るための観客席は一切用意されていないのですよ。
ん?なんで?
午後の2時から夜の8時半までの長丁場ですよ、座ってゆっくりと鑑賞したいってのが人情じゃないですか。
これって、随分不親切(@ ̄ρ ̄@)

もうひとつ、不満ついでに言わせてもらうと、唯一10mほど離れた場所にテントがあるのですがね、そこのテントでは保存会の人達が陣取っていて、自分たちはちゃっかり座って飲んで食べての宴会状態、ワーワーとうるさい事この上ない!


二の舞
こうなったら、とことん言わせてもらいますが、カメラマンもヒド過ぎる!
皆さん遠州弁を話していたので地元の方達だとは思いますが、舞台が始まると同時に舞台の真ん前に高い脚立を立てて平気で写真を撮っているではありませんか(@_@;)
後ろにいる人に対しての配慮というものは一切持ち合わせていないようです。
おかげで、舞台がまったく見えずですよ。
こんなのあり?!
確かに舞台は四方から見られる造りにはなっていますし、混雑している訳じゃないから観たけりゃ自分が移動すればいいだけかもしれません。


色 香

しかし、常識として人の前に脚立で立つって考えられます?
しかも運営側は、誰も注意をしない。
むしろ、フォトコンテストを企画して大いに良しとしているようなのです。
皆さんそれなりの良いカメラお持ちなんですから、脚立や三脚、フラッシュが無くても写真は撮れますよ、腕さえよければ、ね<(`^´)>

なんだか文句ばかり並べてしまいましたが、決して舞楽が劣っていた訳ではありません。
むしろ、今まで観てきた舞楽とは異なり非常に興味深いものでした。
小國神社も素晴らしく、自然環境も申し分ないほどのこの地に、こうした伝統芸能が継承されていくことを嬉しくも思います。
ただただ、出来るものなら、もっと良い環境でじっくり鑑賞したかったです。

美しい小國神社の森




せっかく遥々時間とお金をかけて観に行った伝統の芸術文化、悲しかった現実に今は、こんなことしか言えないのです。
私の他に、もうひとりだけ私のように地方から訪れた青年がいましたが、あきれた顏をして持っていたカメラをしまった姿を見ました。
観客が少ないのも、あるいはこれが原因ではないでしょうか?
マナーの悪さは遠州人の恥ですよ。
しかし、正すことは出来ます。
もし、この声が森町に届いたなら、なんとかなるハズですから・・・。

舞楽についての演目や意味など、書きたいことは沢山あったのにどんどん話が逸れていってしまいそうなので、今日はここまでにします。

不満は山ほどあったけれど、冷たい雨の降る中で、この素晴らしい舞楽をご紹介したくて暗くなる7時過ぎまで頑張りました。
もっと素敵な事を書きたかったのに残念で仕方ありません。

そういうことで、舞いについては、写真を見て推し測ってくださいね。
では、また次のお祭りでお会いしましょう(^.^)/~~~


2013年4月14日日曜日

うだつの町並みに花みこしが踊る   -美濃まつり-

花みこし


こんにちは。
また1ヶ月サボってしまいましたが、忘れずに見てくださってありがとうございます<(_ _)>

今年は桜の開花も早く、中部地方ではほとんど散ってしまいましたが、桜の開花と一緒に始まるのが「春祭り」
これから、バンバンご紹介していきますよ('▽'*)

そんな訳で、今日ご紹介する春祭りの第一弾は岐阜県美濃市の「美濃まつり」です。
昨年は残念ながら、同じ岐阜県中津川市の「杵振り祭り」と同じ日に開催されるため見ることが出来なかった「美濃まつり」です。
1年待ってようやくこの日がきたのですから、私も張り切って早起き!
カメラ2台を積み込んで、高速道路をブッ飛ばし一路美濃市を目指しました。

美濃市は、岐阜県のほぼ真ん中に位置する町で、また日本のちょうど真ん中辺りにもなる町なのです。
古くは上有知村(こうずちむら)と呼ばれ、長良川沿いに上有知湊(こうずちみなと)という川湊を持ち、その湊を拠点に船運貿易により栄えた町です。
その面影は、現在も国の重要伝統的建物群保存地区に指定されている美しい町並みに見て取れます。
なにせ、諺にも出てくる “うだつ” のあるお家がずらりと並んでいるのですから、かつての繁栄を伺い知ることが出来ます。
以前、このブログでも紹介した町並み散歩を憶えていてくださる方も多いかと思いますが、“うだつ” とは、簡単に説明すると火事になった際に隣家への類焼を防ぐための防火壁のことです。
その “うだつ” がやがて、家屋敷の豪華さを誇る装飾に変化していき、一般庶民のしがない暮らしを表現し、「うだつのあがらない」という諺を生み出したのです。
また、全国的にも高い品質の “美濃和紙” は、この町の伝統的産業で現在でも多くの需要を誇ります。


さて、町のご紹介は以前にもしたのでこれくらいにして、そんな美しいうだつのある町家を背景に行われる「美濃まつり」のご紹介に進みましょう。
「美濃まつり」」の華は、なんといっても地元産業の和紙をふんだんに使った “花みこし” が最大の見ものです。
桜の花を思わせる鮮やかなピンクに染められた美しい和紙に彩られた華やかな御輿は、岐阜という山国に訪れた春を寿ぐ喜びに満ちたものです。

め組のお嬢さん

御輿自体は通常の大きさではありますが、その御輿に取り付けられたシナイ(竹花)の本数は約250本~300本、高さは5mを越え、幅は7m余りに至り、その総重量は250㎏にも及ぶそうです。
各町内それぞれの御輿があり、30基ほどの御輿が勢ぞろいともなれば、それはそれは満開の桜並木のようです。
また、オイサー、オイサーの掛け声を発しながら、美しい町並みを練り歩く様は豪快でもあります。


お神酒を飲み干すオジサン


威勢のよい屈強な若者や働き盛りの壮年オジサンに混じり、若くて可愛いお嬢さんたちの元気な法被姿が豪快さにも色を添えます。
なかでも「め組」と呼ばれる御輿隊は女子だけで構成されていて、それはもう華やか事この上なく、大勢のカメラマンは他の神輿はそっちのけで、ただひたすら彼女達を追いかけてゾロゾロ。
まあ、そんな気持ちも分からないではありませんがね ( ̄◇ ̄;)



では、いつものように、ここで少しお勉強タイム。
「美濃まつり」の起源は江戸時代。
江戸時代の書物にわずかに登場しますが、はっきりとした起源は分かっていません。
当初は、この地の氏神様である八幡神社の祭礼として豊年満作を祝う秋祭りだったそうです。




この頃の祭りの形態は、村の長老たちが豊作の祝い歌を短冊にして笹竹にくくり奉納するといったシンプルなものだったそうですが、いつしか山車の曳きまわしなども行われる華やかなものになっていったようです。
そしてさらに月日は過ぎ、干ばつの続いた江戸末期、雨乞いの祭りとして定着したのが “町さわぎ” という祭礼で、各町内でそれぞれ趣向をこらした出し物をつくり、町を練り歩く行事だったそうです。



山車越しの花みこし

その形や出し物に紆余曲折があったものの、現在の “花みこし” の形態に至ったのは明治後期。
しかし、まだバラバラだった神輿の装飾を美濃和紙の産地らしく紙の花を付けた「シナイ」約300本を神輿の屋根に取りつけようという青年団の発案により、昭和の初めから現在の “花みこし” の姿が確立されたのです。


お勉強タイムも終わったので、この日の様子に巻き戻しましょう。
私の到着したのは午前10時。
午前8時半から始まるこの祭り、早くも街中は祭りの熱気にあふれていました。
車を駐車場に停めて、オイサーオイサーの掛け声をたよりに歩いていくと、いましたいました!
想像していた御輿よりはるかに大きい御輿にびっくり仰天(@_@;)



家々の軒をかすめて狭い道幅いっぱいに練り歩く御輿は、目にも鮮やかなピンク色。
なんて綺麗なんでしょう!
小さな酒樽を担いだオジサンが次から次へとお神酒を勧めてくれますが、いかんせん車で来ている私には呑むことは出来ません。
ワタクシ、よっぽど酒好きに見えたのかしら・・・(~_~;)
そんな陽気な具合ですから、担ぎ手はもう朝から出来あがっちゃってます。
ひょっとしたら昨夜から出来あがっちゃてるのかな?!



まぁ、年に1度の祭りですから、それもOKですね。
カメラマンの方々も大勢来ていらっしゃってます。
さあ、私も広角レンズと望遠レンズをつけた2台のカメラを担ぎ、いざ出陣!
町中に笑顔があふれる時間(とき)。
熱気あふれる美しい町並みに乱舞する色鮮やか “花みこし”
カメラを向ければ、人懐っこい笑顔でみんな手を振ってくれます。
知り合いなどひとりもいない場所だけれど、みんな友達のように懐かしく思えるのはなぜでしょう。



この瞬間を見たいから祭り見物はやめられません。
この瞬間を切り取りたいからカメラはやめられません。
次々と来る “花みこし” を夢中で撮りまくりましたが、さすがに一眼レフ2台は重たい。
背中に背負ったリュックにもレンズが2本・・・
神輿を担いだ訳でもないのに午後にはヘロヘロ、まったく情けない話です(>_<)
遅い昼食を摂って、また元気よくと頑張ってはみましたがテンション⤵
日暮れに始まる “美濃流し仁輪加” ( 国選択無形民族文化財)を見るまで頑張るつもりだったのに・・・
もう、スタミナが持ちませんでした。


あきらかに気合の入れ過ぎだったようです。
仕方なく車に戻り、しばらく放心。
そして、スゴスゴ退散、実に悔しいです(T_T)
一番見たかったのは、伝統芸能である“仁輪加”ですから・・・

ちなみに “美濃流し仁輪加” (みのながしにわか)とは、風刺と酒落をきかせた即興劇のことで、最後に落ちがついた漫才コントのようなものですが、江戸時代からの古い歴史のある大衆芸能です。
見たかったなぁ~(/_;)



やっと我が家に辿り着いたとたん爆睡状態の私にとっての痛ーい教訓は、次からの祭りのお供は一眼レフ1台とポケットに入るコンデジひとつに戻せ!ということでした。
「美濃まつり」は、毎年4月の第2土曜日と日曜日に行われます。
私の訪れた日は2日間行われる祭りの初日、試楽祭と云われる日で山車の巡行は行われない日ではありましたが、山車の姿も見ることはできました。



春の陽射しも麗らかな季節、皆さんも来年お出かけしてみてはどうですか?
では今日は、この辺で失礼します。
また、次の祭りでお会いしましょう(^.^)/~~~