2012年10月16日火曜日

三河の地に伝承される農民武術 棒の手   -猿投神社 豊田市-


こんにちは。
朝晩の冷え込みも厳しくなり、北の方から紅葉の便りも届く季節となりましたね。
秋祭りも益々本番の時期となり、日本の伝統芸能をひとつでもたくさん見ておきたい私には、やたらと忙しい時期なのでありますが、これも個人的趣味なので皆様には気軽に読んで頂ければと願っています。

では、今日も全力で飛ばしていきますよ。
今日ご紹介するのは、「猿投(さなげ)神社」の祭礼、猿投祭りの「棒の手」奉納です。

この地方にお住いの方は知っておられると思いますが、「棒の手」と言われても分からない方が多いことでしょう。
「棒の手」とは、この地方に伝承されている武術のひとつで、群雄割拠の戦国時代、農民たちの自衛武術として発展した武術のひとつです。
その戦術は、いかにも農民らしく泥臭いものであったとされていますが、やがてこの地も戦乱に巻き込まれていくと、戦士補充のため領主によって指導者が派遣されるようになります。
指導者の違いでいくつかの流派が形成されますが、その基本は刀や槍といった武士の武器だけにとどまらず、棒や鎌など農民の身近にある道具さえも使われたのです。

長老

そんな農民の中から、その後、三河武士と呼ばれる農民出身の武士が生まれてきたわけですね。

祭りの行われる「猿投神社」は名古屋市のお隣の豊田市郊外にある歴史と格式を誇る優美な神社です。
総門を潜ると参道には樹齢200年ともいわれる杉並木が続き、猿投山を背景に立派な社殿が見えてきます。
境内には、拝殿・四方殿・中門といった壮麗な建物が連なり、中門の中ほどの奥に本殿があります。
また中門の右側には、外社として塞神社・広沢天神社・御鍬社・洲原社・御嶽社・建速神社・秋葉社が並んでいます。



猿投神社参道
古くはこの猿投山全体が御神体であったとされ、崇拝対象になっていたそうですが、現在の猿投山も深山幽谷の名残を残し、東海遊歩道の一部とされいて軽装での山歩きを愉しまれる方に人気の場所です。
また、この神社には古くから“鎌”を奉納して祈願する習わしがあり、境内には“絵馬”ならぬ“鎌”が並んでいるのがほかの神社とは違うところです。
“鎌”を用いて開拓した農民力といったものを感じることが出来ますよ。

御輿渡御

さて、ではお祭りの様子をお伝えしましょう。
「猿投祭り」は10月の第2土曜、日曜の2日間行われますが、私の訪れたのは土曜日で「試楽祭」の日です。
翌日の「本楽祭」とは違い、陽が落ち、辺りも暗くなった午後7時からの開催となります。

もちろん「本楽祭」の方が賑わいをみせますが、私は篝火が燈される中で行われる勇壮な奉納行事を見たいと思い、あえて「試楽祭」の日を選びました。
この祭りの行われる「猿投神社」は、我が家からは車で40分といった距離でもあり、私の好きな神社で普段から度々写真を撮りに行くことのある神社ですから、勝手知ったる庭のようなところでもあるのです。
早めの夕食をすませ、6時には到着。
カメラを携えた人たちも結構たくさん集まっていましたが、押し合い圧し合いの状況ではありません。
8割の人は地元の方のようです。




拝殿横に用意された椅子に腰かけて待っていると、カメラを持った地元のオジサンが話しかけてくれました。
おかげでこの日の行事の見どころや進行の様子も聞くことが出来て、とてもラッキー(*^^)v
ところが、このオジサンどうやらカメラ初心者らしく、私にカメラの扱いについて尋ねてくるのです。


私も他人に教えてあげられるほど上手くはないし、カメラメーカーも違うので教えてあげるなんてとても出来ません。
ましてや暗闇での撮影となると、私の知識なんてあやふやもいいところです(-_-;)
「私も初心者でよく分からないのです」と謝って、「お互いに頑張りましょう」とかなんとか言って誤魔化しちゃった・・・
ごめんなさい、オジサン<(_ _)>


献馬奉納

それでも、やさしいオジサンと並んで待っていると火縄銃の空砲が次々と轟音をあげ、いよいよ祭りが始まりました。
御輿を担ぐ男衆の禊が神社横の滝で始まり(ここは撮影禁止)幕で囲われた中から気合の声が響きわたってきました。
めっきり冷え込んできた時間帯、寒いだろうなぁ~
男衆は禊を終え下駄をぶらさげて出てくると一旦どこかに戻り、白装束に着替え本殿へと入っていきました。
どうやらお祓いの儀式が始まったようです。
本殿前には明々と燃え盛る松明と御輿が用意され、その時を待っています。


いよいよです、御輿渡御が始まりました。
もう、なにがなんだかわからない勢いでシャッターを押しているうちに御輿は拝殿に収まってしまいました。
その距離7mくらいですから、あっという間の出来事なのです。
しかし、これで終わった訳ではありませんでした。
御輿は1基だけではなかったのです。
どこから来たのかは分かりませんが、物凄い勢いで続いて2基やってきて拝殿には3基のお神輿が並びました。
なかなか見事な光景でしたよ。


勇壮な法螺貝や空砲を合図に“八鎮”と呼ばれる境内の警備の責任者さんたちに続いて長老や武芸者の行列がやってきました。
この“八鎮”さんですが、八方のもめごとを鎮める役目からそう呼ばれているそうですが、その衣装が面白いのです。
なぜか山高帽に鉢巻、法被姿、その手には提灯が持たれています。
戦国時代から帽子があったとも思えないので明治の頃からこういう衣装になったと思われますが、妙におしゃれでカッコいいのです。
すいません、また話が脱線してしまいましたね。
もとい!
続いて献馬の奉納神事が始まります。
“警護隊”と呼ばれる人達によって豪華な馬具で飾られた馬が登場するのですが、一瞬のうちに目の前を走り抜けていってしまいました。

オジサンに教えられていたとおりの場所でカメラを構えてはいましたが、一瞬のことで撮れたのかどうなのか自信がありません。
始まってしまったら、モニターなどで確かめる余裕なんてないのです。

あれよあれよという間に御輿渡御や献馬奉納行事が終わると、本日のメインイベント「棒の手」の奉納が始まりました。


どこかの招待イベントでの「棒の手」演技は見たことはあるのですが、本格的なものは初めて観る私です。
なんだか少し緊張します。
ちょっとした説明はありましたが、いきなり始まった「棒の手」の迫力は半端じゃありませんでした(@_@;)
ピーンと張りつめた雰囲気のなか、「ヤァー!」「トォー」の鋭い掛け声が響き渡ります。


刀や槍、長刀やカマ、十手などいろいろな武器が登場しますが、傘ひとつで応戦したり、体すれすれに突き刺さる槍などの迫力に大勢の見物者の拍手とどよめきが広がります。
武術とは縁遠い私は観ているだけでも怖いくらいです。
剣道、柔道、合気道は知っていても、こんなにも多くの武器を使い分け戦う武術も珍しいことだと思います。
ちょっとやそっとの練習では極められない技と技術なんだろうなぁ~とつくづく感心しましたよ。
戦国時代の昔、実際の戦いともなれば武器など選んでいられる余裕などもなかった足軽にとっては、より実践的な武術だったのでしょうね。
実に感服いたしました。



「惚れてまうやろ~」ってな具合で、どの演技者も実にカッコいいのです。
オバサンに惚れられても困るでしょうが・・・(~_~;)
そんな大人の勇壮な演技の横では、小さな子供たちによる演技も行われていましたよ。
こちらの方はご愛嬌といった風情ですが、いづれこの子たちがこの素晴らしい武芸の伝承者と育っていくのでしょうね、楽しみです。





では、いつものお勉強で今回のお祭り紹介の〆といたしましょう。
最初に説明したとおり、「棒の手」はもともと室町時代から受け継がれてきた農民による自衛武術といわれています。
発展したのは、戦国時代。
戦乱の世に、この武術を極め、農民から足軽へ、また功をなし武士へと昇り詰めた武人も多くいたことでしょう。

しかし、平和な時代が来ると、また農民の自衛武術に戻っていきます。
農作業が本来の仕事である農民にとって、もはや武術自体が必要な時代ではなくなっていきますが、それなりには受け継がれていったようです。
そんな中で、「猿投神社」祭礼に披露するという晴れやかな舞台が用意されるようになり、それがのちに「五穀豊穣」祈願の奉納へと変化していったようです。


なので、「猿投祭り」の「棒の手」奉納については、はっきりとした起源は解っていません。
「棒の手」自体も戦国時代から江戸時代に、いくつかの流派にも分かれていったので余計にはっきりとしませんが、この地方に伝承される武術としての「棒の手」は、室町時代を起源として約400年の歴史を有するとされています。
また、この「棒の手」は愛知県指定重要無形民俗文化財に指定されていますが、芸能として残っただけでなく、現在も武術として存続しています。
この地方では剣道や柔道といった武道と変わりなく、普通に「棒の手」の稽古場があり、大会もあるそうですよ。
習いたいと思えば誰でも習えるのですね。

ここ「猿投神社」に限らず、「棒の手」の奉納される神社はほかにもあり、昔、三河や尾張といわれた東海地方では馴染みのある伝統の武術なのです。
東海地方は、名だたる武将の出身地でもあり、故に歴史にその名を残す合戦場もいくつかあります。
桶狭間や長久手といった日本史の教科書や大河ドラマでも有名な合戦場で活躍した武術が「棒の手」だったのではないかと想像は膨らみます。

私のみならず、農民武術と聞いて泥臭いものを想像した方も多いのでしょう。
しかし、それはとても勇壮で優美とさえいえる武術でした。
武将好きの皆さん、城ばかりではなく、一度「棒の手」を観に来てみませんか?
戦国時代を疾風のごとき駆け抜けた武将の姿を垣間見ることが出来ると思いますよ。

今日も最後まで読んでくださってありがとうございました。
ではまた、次のお祭りでお会いしましょう(^o^)/






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