2012年9月11日火曜日

豊穣を寿ぐ伝統の踊り -寒水の掛踊 郡上市明宝寒水-


こんにちは。
私の住む中部地方では、まだまだ30℃を超える暑い日が続いておりますが、朝夕は涼風を感じられる9月となりましたね。
いよいよ秋祭りの季節到来です。
今年はどんな祭りに出会えるかな~っと、日々検索の私ですが、見てきたからと言って全部書いているわけではありませんよ。





中には、はるばる出かけて行っても書きたくなるような感想も持てないような残念な祭りもあるので、慎重にリサーチしなくてはいけません(ー_ー)b


さて、そんな中でも伝統芸能ウォッチャーの私としては、どうしても見逃せない伝統行事を追い求めて、今回もいつものように車をかっ飛ばし行ってきましたよ。
本日ご紹介するのは、「寒水の掛踊(かんすいのかけおどり)」という郷土の伝統行事です。
この伝統行事が行われる場所は、岐阜県郡上市明宝寒水という地域で、郡上市街から40分ほど山に入った静かな山村です。



2004年に郡上市に統合されましたが、以前は郡上郡明宝村寒水と呼ばれていた小さな集落です。
郡上といえば、何といっても「郡上おどり」が有名ですが、ここで行われる「寒水の掛踊」とは、まったく別物の伝統行事で地元の鎮守“寒水白山神社”に奉納される伝統祭祀です。
あえて “祭り” とは呼びませんが、“祭り” に近い行事といってよいでしょう。
その歴史は古く、岐阜県の重要無形民俗文化財に指定されています。
この祭事も、やはりはっきりとした起源については不明なのですが、享保17年(1732年)の紙幟が現存していることや、安永元年(1772年)の奉行所の記録に“祭行列”と記されていることから、少なくとも240年以上の歴史があると思われます。


まあ、歴史はさておき、とにかく愉快なこの祭事の実況中継といきましょう。
私がこの日、車をかっ飛ばし辿り着いた時刻は12時を少し回った頃、少し出遅れたので祭事はもう始まっていました。
山道沿いにある一軒の家の庭先で、なんとも面白い扮装の一団の奉納舞が行われていました。

一目見た瞬間から、私はゾクゾクするほど嬉しくなって、思わず「ヨッシャー!」と叫びたいくらいほど興奮しちゃいましたよ。


しかし、いつものごとく大勢のカメラマンに占拠された場所にはつけいる隙もなく、カメラマンの隙間から眺めることに終始しました。
すると、またまた地元のおばあちゃんと仲良しになれましたよ。
「どこから、来たかね?」
「はい、名古屋から」
「そりゃご苦労なこったね、ひとりで来なさったか?」

「はい」
「写真を撮るのかね?」
「はい」
「ここでは人が多くて無理だけんが、神社まで行列していくで道で待っとりゃええよ」

「ありがとうございます」
ありがたい情報をいただいた私と、その会話に聞き耳を立てていた私同様  “つまはじき” になっていたカメラマン数人が移動を始めると、なんだか大勢のカメラマンもゾロゾロ動き始めました。
歩いていると、毎年写真を撮りに来るという脚立持参のカメラおじさんとも仲よくなり、いろいろ教えていただくこともできました。

そんなこんなで30分程待っていると、山道を下ってくる行列が見え始めました。
その行列の、まるでタイムトリップしたような なんとも懐かしい光景とお囃子が心に響きます。


たわわに実る田んぼの稲穂が黄金に輝き、コスモスが風に揺れ、これぞ里山だ!日本の原風景だ!と夢見心地の私の横で、「ガードレールさえなきゃねぇ」と誰かがポツリ・・・。

そりゃそうだけど仕方ないよね(~_~;)

では、この辺で「寒水の掛踊」の解説をかいつまんでお話しましょう。
「寒水の掛踊」 は、先ほど地元の “白山神社” の奉納祭祀である紹介しましたが、この “白山神社” には、宮司がいません。
したがって、やはり祭祀というより、祭事、つまり祭りという解釈でよいのでしょう。
宮守りは1年交代で集落の人たちの中から選ばれるそうです。

地元住民がしっかり守ってきた神社なんですね。


この祭事においても、毎年お盆が過ぎると住民総出で役柄を決め、練習が開始されるそうです。
といっても、この祭事に参加するのは男子だけ。
130人人にも及ぶ行列ですから、集落の男子全員参加は間違いないところでしょう。
今年初めて稚児に女児が参加したそうですが、これも過疎化のせいなのか、女性の進出の兆しなのかは私には分かりません。

その長い行列には、それぞれ役柄があり、参加するひとは「役者」と呼ばれるそうです。


お芝居をする訳でもないのですけれど、その扮装たるやまさしく「役者」さんと呼んで間違いなし!
とっても愉快なのです。

その役者さんをご紹介すると、まずは露払いに始まり、祢宜・鬼面をつけた悪魔払い・薙刀振り・ささら摺り・田打ち・大黒様・奴・花笠・おかめ・合傘持ち・笛吹き・太鼓打ち・鉦打ち・地歌方・幟持ち・世話人といった大編成。


まあ、豪華出演者勢ぞろいってところでしょうかね。
 “掛け踊り” といわれる所以は、明治の末ごろまで隣村であった母袋村から
峠を越えて声自慢の人たちがやって来て、踊りの合いの手に掛け合いの声を張り上げたことから “掛踊” といわれるようになったそうです。
現在は音頭取りの発した掛け声に地歌方が受けて返す形で歌われるそうですが、その掛け声がまた良い声で、民謡などほとんど分からない私でも聞き惚れてしまいました。

さて、この長い行列はちょっとした休憩を挿み、やがて “白山神社” へと向かい境内での奉納舞いが始まります。




奉納舞いは、役者たちが車座になった真ん中で “シナイ” という竹飾り(高さ3m重さ5㎏)をつけた4人の青年を中心に舞い踊られます。
 “シナイ” については、今年の2月に紹介した岐阜県揖斐川町の「谷汲踊」で紹介したものと同様で、少しだけ小型で軽量な感じかな。
4人のうち3人が太鼓、ひとりが鉦を打ち鳴らしながら、背中の “シナイ” を激しく地面を払うようにして勇壮に舞うなか、鬼や大黒様がちょろちょろとチョッカイを出しにきたりする場面もあり、とても愉快です。



周囲の役者さんたちも“シナイ”の青年たちを取り囲むようにしてグルグルと回りながら踊ります。
その手には作り物の鋤や鎌が握られ、この踊りが “五穀豊穣” を寿ぐ祭事であることを物語っていましたよ。

山間の小さな集落で、村人総出で天の恵みを祝い感謝する祭事。
この日も素晴らしい伝統に出会えました。


あいにくの小雨により早めの退散となりましたが、私にとってこの上ない充実した1日となりました。
美しい日本、美しい伝統、またひとつ宝物を見つけましたよ。
この祭事は、毎年9月の第2土曜・日曜に行われます。
みなさんも来年は、お出かけになられてはいかがですか?
本日も最後までお付き合い下さってありがとうございました。
では、次の秋祭りでまたお会いしましょう(^o^)/






2 件のコメント:

  1. 伝統のお祭りは荘厳さを感じますね。
    私の地域にも昔はあったのですが、としが経つにつれ廃れて行きました。
    なんだか寂しいですね。
    代わりに大きな花火大会で盛り上がりますが、昔のように地域を練り歩くお祭りも懐かしく感じます(^ω^)

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    1. 岡田さん、コメントありがとうございます。
      郷土の祭りは、地域の人達の情熱によって守られています。
      過疎化の時代の昨今、こうした祭りの灯が消えないように努力していきたいですね。
      たくさんの方に知っていただき、地域の人たちにエールを送りたいと思います。

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