2012年8月17日金曜日

山村に受け継がれた念仏おどり -大海の放下-

放下おどり

こんにちは。
盆休みのお疲れを引きずったまま、昨日から出勤という方も多いかと思います。
土曜日からの5連休ということで、海外旅行や家族旅行を楽しんだ方も多いことでしょう。
しかし、大半の方はお盆をご実家で過ごされたのではないでしょうか?
まあ、自分の住んでいるところが実家だという人も少なくないでしょうけど・・・(-_-;)

ご実家が遠方であるという方々にとっては渋滞や混雑の御苦労も伴いますが、懐かしい顏、懐かしい風景が待っていてくれたことでしょう。
なかには新しい家族が増えた方、また、家族を失われ寂しく想われた方もいらっしゃったかも知れません。
昔から「お盆」とは、家族が揃って御先祖様に感謝し、お迎えする日本の“慣習”です。
今日は、その日本の良き習わしである “お盆の行事” をご紹介したいと思います。
“お盆の行事” といっても地方により、その形は様々ですよね。
また関東においては、時期さえ違ったりもしますが、先祖供養ということに於いては同じです。
“お盆の行事” と聞いて、まず連想するのは「迎え火」

火は、すなわち“御霊”を導く目じるしです。
「私たちはここにいますよ、迷わないで来て下さいね」といった意味があるそうです。
また「送り火」や「精霊流し」には、“御霊”が間違いなくが天国に帰って行かれるように道筋を照らす意味があるそうですよ(^o^)b
広い意味で捉えれば「盆踊り」だって、ご先祖様に対する“ご接待”とも言えるでしょう。


前置きが随分長くなってしまいました(-_-;)
では、ボチボチ今回の “お祭り” ならぬ  “お盆の行事”  を紹介しましょう。

今日ご紹介するのは「大海の放下(おおみのほうか)」という  “盆行事”  です。
場所は、愛知県新城市の町はずれ “大海” という山に囲まれた小さな集落。



その小さな集落で、綿々と受け継がれてきた 「大海の放下」
私は、その風変わりな名前を聞いただけで、メラメラと興味が湧いてきました。
こりゃ、一見の価値あり!
ってことで、この日もカメラ片手に車をブッ飛ばして行って来ましたよ。

新城市は愛知県ではありますが、名古屋から車で行くには結構不便な場所でして、高速道路では随分と遠回りになります。
お盆の帰省ラッシュでもあったので、高速道路や主要幹線道路を避け、カーナビで最短距離の道筋を選んだのですが、これがとんでもない山道を選び出してしまいました(>_<)


泉昌寺

「落石注意」のすれ違いも厳しいクネクネした山道を登ったり下りたり、倒木も横たわっていたり、「イノシシ注意」の看板も・・・
ビビリつつも、ひたすら走り続けて2時間半、やっと辿り着いたのは静かな山村でした。
どうにか開始時間には間に合い、会場の「泉昌寺」に行ってみたものの、ひとりふたり地元の方がいるだけです。
どうなってるの???
早すぎたのかしらと、時計を確かめてみたのですが17時です。




ネットの案内には17時開始とあったはず・・・
そうこうしてたら、カメラを担いだ3人組のオジサンが登場。
ひと安心(^o^) 間違いでは、なかったようです。
しかし、オジサンたちは地元の方となにやら話しています。
なにげに傍に近寄っていって聞き耳をたてていたら、どうやら公民館に集まっているとのこと。
私がカメラを持っていたことに気づいたオジサンたちは「ここへ戻ってくるのは8時だってさ、公民館を出発したあと新盆の家々を回るらしいから、公民館に行った方がいいよ。 車はどこに駐車したの?ここは閉められちゃうんだって。駐車場もそっちにあるってさ。一緒に行く?」



「は~い、ついていきま~す」
方向音痴の私には、なによりありがたいお言葉、「渡りに舟」とはこのことです。
小さい集落ですから、公民館も“目と鼻の先”ではありましたが・・・

ではこの辺で、いつものように今回の行事についてのお勉強から始めましょう!


この「大海の放下」と呼ばれる “盆行事” の起源については、はっきりとした記録はありません。
しかし、「放下おどり」に使われていた古い太鼓には、寛政2年(1790年)という書き込みがあることから、少なくとも220年以上の歴史があることは確かなようです。
明治の頃に一旦途絶えたあと、昭和7年に熱心な伝承者により復活、その後また戦争により再び中断されたそうですが、昭和25年に再興して現在に至るそうです。
昭和36年には愛知県の重要無形民俗文化財に指定されたそうですが、私には少々納得がいきません。

なぜなら、これは絶対、国の重要無形民俗文化財に指定されるべき行事だからです。

いままで、たくさん国指定の重要無形民俗文化財を観てきましたが、この「大海の放下」がワンランク劣るとは考えられません!
って、ここで熱く語っても仕方ないので、話は お勉強に軌道修正。
どうも私の話は、あちこちと飛んでしまうのでいけませんね(-_-;)
えーっと、歴史の話は終わったので、次は由来についてのお勉強ですね。
そもそも「放下」とは、なんぞや?ってことを説明しましょう。

最初に「ほうか」とふりがなを付けましたが、正しくは「ほうげ」と読むのだそうです。
元々「放下(ほうげ)」とは、すべての執着を捨て去ることを意味する仏教用語です。



それが、いつしか大道芸の「放下(ほうか)」になり、その呼び名が定着して、今では「大海の放下(おおみのほうか)」が正式名称になったようです。
では、なぜ仏教用語が大道芸に変化したのかについて掘り下げてみましょう。
その昔、高野山の数多い聖(ひじり)たちの中に、一切の執着を捨てて念仏を唱えることに専心した一団がいました。

それが「放下僧」と呼ばれた人たちです。




源平争乱の荒れた時代、多くの僧侶が地方への放浪を余儀なくされました。
僧たちは全国を行脚しながら念仏を唱え布教していった訳ですが、その際、僧は民衆の心を和ませるために都の話や行く先々での出来事や行事を身振り手振りで話したのでしょう。


動乱が収まると、やがて「放下僧」は消え、「放下僧」を真似て民衆を愉しませる「放下師」と呼ばれる人達が新しい芸能としての「放下芸」を披露するようになりました。
「放下師」たちは一団を組み、日本全国津々浦々を廻ったと云われています。
そんな「放下師」を、娯楽の少ない山村では歓待したそうですよ。
以前にもご紹介した、神楽、獅子舞などと同じですね。
しかし、「放下芸」には、
神楽や獅子舞などといった芸のような “外連味” が足りなかったのでしょうな、
消えていく運命をたどっていったのです。
朗々と詠いあげられる物語や念仏も、伊勢笛と呼ばれる横笛と鉦とだけのお囃子も、パンチがないと言ってしまえばそれまでですけど、娯楽を求めた民衆には飽きられちゃったのかもしれませんね。

高万燈

しかし、奥三河のこの地には残りましたよ!
それは、山河美しいこの地の“お盆の行事”として、もっとも似合う形で残ったと言えるのです!

さて、それでは当日のようすに話を戻しましょうね。
公民館前には、地元の方と私のようなカメラを持った人達が合わせて40人くらい集まっていました。

このところ、大きな祭りばかり見てきた私には拍子抜けするくらいの静けさです。



公民館前では丁度、保存会の方が 「大海の放下」についての解説をされていて、「放下おどり」の装束を整えているところでした。
「放下おどり」の装束は、とてもユニークです。
背中に大きな団扇のようなものを背負い、お腹に太鼓を抱えた姿の踊り手が3人と、ササラと呼ばれる白い和紙の飾りがついた棒が16本束になっている道具(ササラ)を背負った人がひとり。
大きな団扇の大きさは、丈が3m幅1.2m、重さは6kgあって、お腹に抱えた太鼓の重量と合わせると10kgを超えるそうです。

その大団扇を脇腹に晒しの布でグルグル巻きにして装着し、太鼓も晒しの布で肩から吊り下げる形で装着するのですが、着る人はもちろん、着せる人も汗だくの作業です。
興味深かったのは、菅笠に手甲、脚絆姿であることです。
私には、昔の旅芸人の面影を残しているように思えました。
ちなみに、大団扇には家紋のような紋様が描かれていますが、この紋様の根拠については不明だそうです。



保存会の方による解説や新盆を迎えるお宅への順路の説明が終わると、「放下おどり」の一行は新盆を迎えられたお宅へと出発します。
「南無阿弥陀仏」と書かれた高万燈をもった露払いを先頭に、紋付羽織袴姿の総代、笛や鉦の囃子方、大団扇とササラの踊り手、提灯を持った歌い手と続く行列は、白と黒のみの装束で構成されています。
“お盆の行事” にふさわしい色合いの装束で、道中囃子は物悲しく、亡き人を偲ぶかの響きを奏で、狭い路地を抜けて一軒目のお宅へ。



新盆を迎えられたお宅では、亡き人の祭壇に遺影を掲げ間口に整え、迎え火を灯し静かに待っておられました。
特別な掛け声や合図もなく、静かに一礼することから始まった「放下おどり」は、早い動作や大きな動きはありません。
大地に足を踏ん張り中腰でシコを踏むような動作、太鼓は敲くというより「突く」ようにして打ちます。



これには意味があるそうで、“邪鬼を踏みつけ悪を突く”のだそうです。
横笛数本と鉦ひとつだけのお囃子は憂いを帯び、ゆるやかなテンポにあわせて踊る姿は、勇壮というより荘厳な儀式といった趣きです。
哀愁に満ちた節回しの譚歌(一般に広く伝誦された物語歌謡)や念仏も、その昔の「放下僧」の姿を彷彿とさせます。

この日も時間の都合で、最後まで見届けることは出来ませんでしたが、私にとってこの上ない満足と充実感を与えてくれました。

長い年月の間に廃れてしまった「放下芸」
それは、いままで私が見学した地方に残る数々の伝統芸能の中に於いても、もっとも興味深く、稀であり、先祖を敬う美しい伝統芸能でした。
これが、国指定の
重要無形民俗文化財でないのが不思議でなりません。
訪ねる人とて余り多くはない山間の伝統行事ではありますが、私にとって「お盆」とは、こういうものなのだと再認識させてくれました。
日本の美しい伝統を守ることの重要性、先祖を大事に敬い続けることの意味。

あらためて、この美しい日本の “盆行事” に出会えたことに感謝です。
今日も、最後まで読んでくださってありがとうございました<(_ _)>
まだまだ、私は地方に残る伝統を掘り起こしますよ。
頑張るぞ~!


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