2012年6月22日金曜日

トイレの神様とゆりの園   -可睡斎-


可睡斎 本堂

こんにちは。
今日は私にとって、とても懐かしく、そして思い出深い場所をご紹介したいと思います。
ここは、静岡県袋井市にある曹洞宗の古刹、「可睡斎」です。
山号は「萬松山(ばんしょうざん)」、寺号を「可睡斎(かすいさい)」といい、 東海道随一の禅の修行道場として知られています。
また、明治時代の神仏分離により、隣町である浜松市の「秋葉寺」から「秋葉三尺坊大権現」の御身体が還座され、火防災除すなわち火伏せのお寺として、有名になりました。


可睡斎山門
毎年12月に行われる「秋葉の火まつり」には、近隣の町から多くの方が参詣に訪れます。
ところで、なぜ私にとって懐かしい場所なのかと言うと、私にとって始めての集団旅行、つまり始めての遠足で訪れた地だったからなのであります。
そのころの私は、小さくて身体が弱く、母親同伴での遠足だったように記憶しています。
今でこそ、活発に走り廻っている私ですが、末っ子の甘えん坊で、お友達とも馴染めず母親にベッタリくっついていた弱々しい少女だったのですよ。
可睡ゆりの園


まあ、そんな話はどうでもいいでしょうが・・・(;一_一)
「可睡斎」は、花の寺としても有名で、春先には牡丹、夏には可憐なサギ草を楽しむことができます。
また、隣接の「ゆりの園」においては、6月から7月初旬にかけて3万坪の敷地に約150種類200万本のユリが咲き競い、まさに夢の世界に迷い込んだ心地にさせてくれます。




今回私が、「可睡斎」を訪れた訳は、もちろん美しいユリの花を撮るためでもありますが、ただそれだけの目的ではありませんでした。
この日私は、朝早く起きて浜松市にある両親が眠る墓に向かいました。
特別、この日に意味があった訳ではありませんが、果たせなかった母との約束をやっと守れる時期が巡ってきたのです。



母との約束、それは「来年もまた、「ゆりの園」に行こうね」という約束でした。
母が亡くなって12年、もう14年も前の約束です。
両親の墓に手を合わせ、「お母さん、お父さん、一緒にユリを見に行こうね」・・・と、いうわけで、お参りを済ますとその足で「ゆりの園」に向かいました。
なんだか話が湿っぽくなってしまうので、この辺にしますね。



えーと、では、「可睡斎」の歴史について話しましょう。
その歴史は室町時代に始まりますが、開山時の寺号は「東陽軒」(中華料理屋じゃありませんよ)でありました。
では、いつから「可睡斎」と呼ばれるようになったのでしょう?
そこには、あまり知られているエピソードがあります。
徳川家康の幼少時代の話です。



この寺の11代目の住職、仙麟等膳(せんりんとうぜん)和尚は、武田信玄との戦いで追われる身となった徳川家康とその父を戦乱の中から救いだし、匿ってくれたのです。
そのことに恩義を感じていた家康は、のちに浜松城主となると和尚を城に招き、もてなすのですが、この和尚、なんとその宴席でコックリコックリ居眠りをしてしまいます。


大東司

その姿を見て家康は、「和尚我を見ること愛児が如し、故に安心して眠る。我その親密の情を喜ぶ、和尚、眠るべし」と言ったそうな。
以来、 仙麟等膳和尚は「可睡和尚」と呼ばれ、お寺の名前も「東陽軒」から「可睡斎」となったそうです。
ちょっと、イイ話でしょ(^o^)

では、「可睡斎」の歴史については、このくらいにして・・・。


烏蒭沙摩明王


今回、私が「可睡斎」をテーマに選んだのは、ぜひとも皆さんに紹介したい場所があったからなのです。
それは、日本一古い水洗トイレといわれる「大東司(だいとうす)」という場所なのであります。
「大東司」って言われても、一般人にはあまり馴染みのある「単語」ではありませんよね。
「東司」とは、禅寺における七堂伽藍のひとつで便所すなわちトイレのことです。
禅寺で修行なさるお坊様には、「三黙道場」と呼ばれる修行の場所があるそうです。
そして、その場所においては一切会話をしてはならない決まりがあります。


瑞龍閣 広間


「三黙道場」ですから、無言の修行場は三か所ある訳で、ひとつは「僧堂」といわれる座禅や食事をする場所、そして「浴堂」と呼ばれる風呂場、その最後のひとつが「東司」と呼ばれる便所なのです。
その「東司」なんですけどね、なんとまあ70年前に造られたという、ここ可睡斎の「大東司」の素晴らしいこと!
当時の日本建築の粋を極めた装飾にタメ息が出ちゃうのであります。




「大東司」の真ん中には、「烏蒭沙摩明王(うすさまみょうおう)」と呼ばれる、いわゆるトイレの神様が凛々しいお姿で立っておられます。
「烏蒭沙摩明王」は、もともと古代インドの神様で、「アグニ」と呼ばれた炎の神だったそうです。
この世の不浄の一切を焼き尽くす霊力を持った神様が、やがて仏教の世界にも取り入れられて、 「烏蒭沙摩明王」 となったわけですね。


庭園

心身を清浄に目覚めさせる徳を持ち、毎日手を合わせることによって、日々の健康を守護して下さるのだそうですよ。

見た目は、「不動明王」とそっくりなので、私にはその違いがよく分からないのですが・・・(>_<)
ところで、この可睡斎の「大東司」ですが、戦前から水洗トイレであったそうで、現在でも使われているのです。
私が感激して眺めまわし、写真を撮っている間にも、普通にお坊様が用を足しにいらっしゃるのです(~_~;)
仕方がないので、私はその度にその場を離れ、誰もいなくなるのを待ち、また戻って眺めるの繰り返し。


ゆりの園のシラユリ
なんだかやましいことをしているようで、落ち着かないのですが見学コースでもあり、扉があるわけではないので出入りは自由なのです。
しかし、男子トイレである以上、いくらオバサンの私と言えどもズズーッと奥まで入り込む勇気はありません。
入口付近で、コソコソと近寄りたくても近寄れない「烏蒭沙摩明王」を望遠レンズで狙ってみたり、さんざん怪しげな行動をしてまいりました(>_<)
いつもの事ではありますが、今日もまた個人的趣味で書きたいことばかり書いてしまいましたが、なにも「大東司」だけが、「可睡斎」の見どころではありません。

瑞龍閣と呼ばれる建物の大広間は、高い格天井と日本画家の山口玲煕氏の描かれた見事な襖絵に彩られ、京都の寺院にも劣らぬ美しさで見るものを圧倒します。
また、美しく手入れの行き届いた庭園も素晴らしく、この日私は、お庭に咲いた菖蒲の花を鑑賞しながら精進料理を頂きましたよ。

長雨や台風が続く鬱陶しい季節ではありますが、そんな季節だからこそ、貴重な晴れ間に美しい花々や美しいトイレ?!を見にでかけませんか?

「烏蒭沙摩明王」がお待ちですよ。(^o^)丿



2 件のコメント:

  1. こんばんは!
    FBでもお友達になって頂いています。

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    1. 澤田さん、いつもありがとうございます。
      皆さんの応援や励ましがあって、私はブログを続けていられるのです。
      出来る限り、頑張って続けていきたいと思います。
      これからも、温かく見守ってくださいね。

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