2012年6月18日月曜日

古代伝説の息づく社の森  -熱田神宮-

熱田神宮拝殿

本日は、私の住む都、名古屋市の誇る熱田神宮をご紹介したいと思います。
と言っても、私は名古屋生まれではないので、実のところ余り詳しくはありません。
名古屋に住みながらも 熱田神宮に訪れたは3回目という訳でして、しかも20年ぶりという有り様なんです。
ですから、今日は皆さんと一緒に熱田神宮について勉強しようと思いますので 宜しくお願いします。





社殿

名古屋の人々は、赤ちゃんの初参りに始まり、七五三参り・成人式など人生の節目には熱田神宮にお参りします。

また 初詣の際は毎年230万人もの人が、参詣されるそうですよ。
私のような無精者は、近所の氏神様で済ましてしまうのですがね。
そんな私も、さすがに成人式の時と結婚が決まった年の初詣は、熱田神宮に行きましたっけ。
結婚はあえなく失敗に終わりましたが・・・(>_<)


拝殿


そんな苦い思い出の場所でもある熱田神宮なので、20年も足が遠のいてしまったのかな(~_~;)
そんな話はともかくとして、名古屋っ子は熱田神宮のことを親しみを込めて「熱田さん」と呼びます。

「熱田さん」には名物も数々あって、境内にある「宮きしめん」できしめんを食べて、お土産には「きよめ餅」を買って帰るのが定番です。


拝殿


近所には、「ひつまぶし」で有名なうなぎ料理屋さんもあるので、そちらの方が定番かもしれませんが、きしめんといえば名古屋名物。
安くて美味しいきしめんも、是非一度ご賞味頂きたいものです。
食べ物の話はさておき、本腰を入れて熱田神宮の話をしましょうね。
熱田神宮は、境内外に本宮・別宮の外43社が祀られ、その歴史は約1900年前といわれています。
1900年の歴史の始まりは、第12第景行天王の時代。


手水舎
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)亡きあと、妃である宮簀媛命(ミヤスヒメノミコト)が、「草薙の剣」を ここ熱田の地にお祀りになられたことから、その歴史が始まります。
「草薙の剣」とは、かの「日本書紀」に書かれている神話「ヤマタノオロチ伝説」に登場する剣で、その昔、須佐之男命(スサノウノミコト)が出雲の国で退治したヤマタノオロチの尻尾から出てきたという伝説の剣のことです。
正式名は「天叢雲剣(アメノムラクモノツルギ)」我が日本の誇る宝物「三種の神器」のひとつですね。
二十五丁橋(名古屋最古の石造太鼓橋)


ちなみに、あと二つ御存知ですか?
あと二つは、伊勢神宮にお祀りされている「八咫鏡(ヤタノカガミ)」と皇居に収められていると云われる「八尺瓊勾玉(ヤサカニノマガタマ)」です。
古代において、「鏡」「玉」「剣」は、支配者の象徴だったようですね。
「天叢雲剣」の行方については諸説ありますが、現在は、この熱田神社の奥深くに「御神体」として祭られているということになってまいます。
清雪門(別名 開かずの門)


じゃあ、その剣がどんな剣なのか見てみたいと思いますよね。
しかし、現在この世の中に生きている人間の中で、誰一人として見たことのある人はいないと言われています。
この剣、実際に現存するのかどうかも諸説があり、私には分かりませんが、私的には「ある!」と信じたいのです。
なぜなら「日本書紀」には、この剣に関する逸話が書き残されているのです。


信長塀


その逸話とは、現在も熱田神宮境内に残る「清雪門(せいせつもん)」に関して語り継がれている伝説です。
この「清雪門」と名づけられた門は、何百年も閉ざされたままの「開かずの門」なのであります。
なぜ「開かずの門」なのかというと、天智天皇の時代に熱田神宮を訪れた新羅の僧が、この「清雪門」より侵入して「草薙の剣」を盗みだすという事件が起きたのです。
しかし、悪いことをしたのですから当然バチが当たりますよね。
その僧は、新羅に帰る船で嵐に遭い、悪だくみは結局失敗に終わるのです。
そして、熱田神宮に無事戻った「草薙の剣」は、二度とこのような災難に遭わぬように厳重に保管され、「清雪門」は永遠に閉ざされる事となったという伝説、ちょっと壮大な歴史ドラマの一場面を見ているようなロマンを感じませんか?


熱田神楽





歴史ある熱田神宮には、そのほかにも数多くの伝説が残っています。
真偽のほどは定かではありませんが、実に面白いと言うか興味深い三つ伝説をご紹介しましょう。


尾張新次郎太鼓


まず、一つ目は「楊貴妃」伝説です。
熱田神宮には楊貴妃の墓があったといわれる場所があるそうです。
「楊貴妃」といえば中国の唐の時代、天下無敵を誇った玄宗皇帝の寵妃ですよね。
世にいう世界3大美女のひとり、中国の楊貴妃の墓が、なぜ日本にあるのかって?
実は、楊貴妃は熱田神宮の女神様の化身っだった!?そうですよ。
玄宗皇帝の日本侵略を心配した神々が、熱田神宮の女神を玄宗皇帝のもとに送り込み、侵略を阻止したとか・・・(-_-;)


尚武祭(熱田まつり)
二つ目の伝説は「源義経、元服の地」伝説です。
時代は平安末期、ここ熱田神宮で源義経の「元服の儀」が行われたと言われているそうです。
義経は鞍馬で育ったという話が有名ですよね、これまた、なんで熱田神宮?
しかし、これには根拠があって、義経の兄である源頼朝の実母が熱田神宮の宮司の娘であったとか・・・。
でも、義経の実母じゃないし・・・(-_-;)


豊田町 まきわら神輿


三つ目の伝説は、みなさんご存知の「織田信長の戦勝祈願」伝説です。
織田信長が今川軍との戦いに際し、熱田神宮に戦勝祈願をしたところ、みごとに今川軍を撃破し、その御礼として土塀を献上したそうです。
この伝説に関しては、かなりの信憑性の高いものだと言えるでしょう。
現在も境内に立派な土壁が残されています。






さて、つらつらと熱田神宮についての安直なご紹介をしましたが、今回、私が熱田神宮を訪ねたのには訳がありまして(^_^.)
実は、熱田神宮で行われる例大祭「尚武祭」を見学するためでもありました。
お祭りウォッチャーとしては、地元名古屋の祭りも押さえとかなきゃいけませんからね。


しかし、祭りといえど、社の中で伝統に則り神官たちの荘厳な儀式が行われる例祭ですから、私のような一般人には見ることができません。
私たちの見学できるのは、一般的には「熱田まつり」と呼ばれている近郊町内の祭りの方です。
もちろん、熱田神宮の例大祭でもあるので、社の中での儀式は見られなくても神楽などの奉納神事は一部見ることができます。
昼間は、武道の奉納や「熱田神楽」「尾張新次郎太鼓」の奉納演奏なども行われます。
あちらこちらで行われるので、私は広い境内をあちらこちら見て回り、写真を撮るのに大忙し。



献灯まきわら
近郊の町からは、「子供獅子」や「まきわら神輿」も登場して、それはそれは賑やかでしたよ。
この日、熱田神宮の広い境内には多くの露店が立ち並びます。
午後3時を過ぎたころから、境内は夕刻を待ちきれない人たちでごったがえしてきました。
皆、露店を覗き込んだり、食べ歩きをしながら夕刻を待ちます
やがて、「献灯まきわら」が点灯され、いよいよクライマックスとなる花火が打ち上げられるのですが、私は、ここいらあたりで引き揚げることに・・・。
さすが都会の祭り、物凄い人出に身動きもままならない状況になってきたので、「献灯まきわら」に灯がともるのを見届け、帰路につきました。
長年、名古屋に住みながら、新興住宅地に住んでいた私には「熱田」は知らない町でした。
こんな賑やかな祭りがあったとは・・・(-_-;)

ちなみに名古屋では、この日を境に着物から浴衣に衣替えする習わしがあるそうです。
初夏の訪れを告げる「熱田まつり」、境内には浴衣美人がそぞろ歩き、祭りの華やかさを盛り上げていましたよ。

出雲大社や伊勢神宮には及ばずとも、ここ熱田神宮も数多(あまた)の神々がおわすところ、神話の故郷です。
皆さんも、名古屋にいらした時には、ぜひ、お立ち寄りくださいな。
近頃流行りのパワースポットもありますよ。
ご紹介しようかな、とも思いましたが、皆様どうぞ自分の足で探してみてくださいね(^.^)/~~~



0 件のコメント:

コメントを投稿