2014年9月19日金曜日

いにしえの廻船船主の心意気   -内海 神楽船祭り-



西端区 神楽船

こんにちは。
長の無沙汰をお許しくださいませ<(_ _)>

今年の夏は予想もしない異常気象が続き、各地に暴風雨による被害をもたらしましたが、皆様におかれましては、お変わりなく元気でお過ごしでしたでしょうか?
また、甚大な土砂災害に遭われた広島地方の皆様には、心よりお見舞い申し上げるとともに一日も早い復興をお祈りいたします。





内海海水浴場

さて、本日は、初秋の知多半島を彩る内海神楽船祭り(うつみかぐらぶねまつり)をご紹介いたします。

内海海岸(正式には千鳥ヶ浜海水浴場というそうです)といえば、この地方のマリンリゾートのメッカであり、関東でいうと江の島海岸のようなところで、真夏には多くの海水浴客で賑わいます。
シーズンが終わったこの日も、夏の陽射しが少し残る海岸には、往く夏を惜しむかのように若者や家族連れが集っていましたよ。

社務所で身支度をする若衆

ゆるやなか弓形を描く海岸線には美しい砂浜が広がり、後方にはホテルや料理旅館が立ち並んでいます。
その長い砂浜の南端あたり、リゾートマンション脇の細い坂道を上っていくと、本日の祭礼が行われる西端区の氏神様である山神社があります。
海辺の小高い丘の上にある山神社に祀られているのは、その名のとおり、山の神様である大山祇神(おおやまづみのかみ)。
あれれ? 神楽船祭りは海の祭り、海の神様ではないのは、ちょいと不思議ではありませんか?

そこで、ちょちょっとググってみたところ、大山祇神社の総本山は瀬戸内海の大三島にあり、戦国時代から江戸時代にかけて活躍した村上水軍ゆかりの神社でもありました。
な~るほど、水軍の守護神とあらば、海の祭りに相応しい神様ですよね。


尾州廻船船主 内田佐七邸 南庭園

ところで、私は海の祭りとは書きましたが、内海神楽船祭りは、正確にいうと海で行われる祭りではありません。
内海川という小さな川の河口付近で行われるお祭りなのでありますが、あえて海の祭りと書いたのには訳があります。
なぜなら、このお祭りは、太平洋の荒波を枕に海運業で活躍した勇壮な男たちのお祭りだからです。
そのキーワードは、尾州廻船
では、お祭りのお話に入る前に尾州廻船について探っていきましょう。


尾州廻船の主な寄港地

そもそも、内海神楽船祭りとは江戸時代後期、太平洋沿岸の物流を担った尾州廻船 内海船の海運業盛大、航海安全を祈るために始まったお祭りです。
しかし、かつてこの地が尾州廻船という海運業の中心地であり、大きな富と繁栄をもたらした町であったことは、あまり知られていません。現在の内海海岸には、穏やかな砂浜が残るばかり。



内田佐七邸
大きな港もなく、海辺を散策しても往時の面影を見つけ出すことはできません。
しかし、海辺から離れて狭い路地を歩いてみると、そこには往時の繁栄が見てとる建物が、いくつか点在していました。

祭りを知りたいなら、まずはその町を知るべし!

この日私は、内海の町に到着すると取りあえず南知多町教育委員会が管理する文化財尾州廻船船主 内田佐七邸見学に直行しました。


北庭園の露台と竹連子壁

神楽船祭りの成り立ちを知るには、まずは尾州廻船を学ばなければならないと思ったからです。
当時の船主の暮らしを知ることは、その時代背景を知るうえで大きなヒントになるわけです。

黒板壁に囲まれた内田佐七邸は、明治2年に建てられた屋敷で、海運業の繁栄も末期の時代にあたりますが、その風格は私の想像を遥かに凌ぐ建物でありました。



日暮れを静かに待つ神楽船
門を入ると大きな広場があり、その向こう右手に蔵、左手前が主屋の入り口となっていました。
主屋の入口からは、奥にのびる広い土間になっていて、おそらく航海から戻った水夫たちの作業場でもあったことが窺えます。
しかし、凄いのは実用的な広さばかりではなく、その瀟洒な造りなのであります。
主屋が、どちらかというと実用的な造りであるのに比べ、その主屋の東側にある座敷は、北と南に優美な庭園を備えた格式ある二間続きの大広間となっています。
案内パンフレットによると、戎講(この地方では船主の組合のことを指します)の寄り合いなどに使用された広間とありますが、おそらく冠婚葬祭や賓客のもてなしにも使われたことでしょう。



櫓の後方には、美しい旗や幟が飾られます

そして主屋の奥には、別棟の二階建の隠居所、そのほかにも蔵や納戸などの建物もいくつか並びます。
そんな立派な屋敷の中でも特筆すべきは、やはり石や樹木、灯篭などが美しく配された庭園(坪庭なんてものじゃなく、かなり広いです)と格式高く、凝った造りの座敷です。
床の間、付書院、床脇飾り、また欄間などの装飾はシンプルですが、なんと!座敷の天井板は屋久杉で出来ているそうですよ。
う~ん、海運業は、かなりの財を得ることが出来たようですね。



本日のイケメンさん(^_-)-☆
内田佐七邸の隠居所には、当時の道具や資料、そして尾州廻船の模型などが展示されており、私も尾州廻船とはなんぞや?ということを学ぶことが出来ましたよ。

まあ、とってつけの知識ではありますが、お勉強してきたので少々お耳拝借。
尾州廻船 内海船とは、江戸時代後期に活躍した戎講という組合組織を持つ海運業者の総称で、最盛期には、内海とその周辺の船を加えると100嫂もの船が戎講に所属していたそうです。


手渡しされていく提灯

航海範囲は、東は江戸から西は瀬戸内海は尾道あたりまで。
主な積荷は「米」で、米船とも呼ばれていたそうです。
まずは米を積んで出掛け、あちこちの港で卸して運搬費用を稼ぎ、次はその儲けで寄港した港に集まる積荷を買い入れる。
そしてまた、その買い入れた品物を次の寄港地で売りさばきながら戻る訳です。
あちこちの寄港地で仕入れ・売却を繰り返し、いつも積荷は満杯なのですから、実に効率のよい儲け方ですよね。



提灯が取り付けられていきます
しかし、そこにはニーズに応えて確かな物を仕入れて売るという商売センスも必要であったと思うのです。
勇敢な海の男というだけでは、商売は出来ません。
上方の大商人や江戸の商人を相手にするには、知識や経験だけでなく、船主には広い視野で時代を見定める能力が最も必要であったことでしょう。
やがて、明治期になって蒸気船や鉄道の発達により尾州廻船は衰退していきますが、そんな中でも蓄えた財力で実業家に転身していった船主も大勢いたそうです。

さて、尾州廻船の成り立ちが分かったので、夕刻迫る祭りの現場に向かいましょう。
西端区の氏神様山神社から、海辺とは反対方向に狭い路地を下っていくと内海川河口に行きつきます。
そこには、本日のメインイベントである神楽船が組まれていました。


提灯の飾りつけも終盤

神楽船は、二艘の祭り舟を横に並べて連結し、その上に櫓(やぐら)を組んだもので、船の全長は約12m、組まれた櫓の広さは約四畳半といった感じです。
櫓の中央には、提灯を掲げるための長い柱がそびえ立っています。
その高さは約15m、ここに108個の提灯が掲げられるのですね。
なんだかワクワクしてきましたよ。
美しく飾られた神楽船は、夕闇迫る岸辺で静かにその時を待っているようです。


船出の準備も整い、船方さんも登場

神楽船を眺めながら、私も堤防に腰をおろしてしばしブレイクタイム。

陽は傾き、岸辺の家々に灯りが灯るころ、
三々五々集まっていらっしゃった地元のお年寄りに祭りの思い出話などを聞かせていただくことが出来たのは、非常に有意義な時間でしたよ。

そうこうしていると、やがて提灯に灯をいれる時刻が近づいてきたようです。
提灯柱の一番上に2個の大提灯が掲げられると、いよいよ神楽船祭りの開始です。



優美で勇壮な神楽船

まずは、お囃子道具と囃子方が船に乗り込み、お囃子の準備が始まります。
そして、提灯方が乗り込むと、囃子方の木遣り音頭にあわせて提灯がひとつずつ取り付けられていきます。
提灯の火は詰所で灯され、西端区の人々ひとりひとりの手渡しで、神楽船までリレーされていきます。

なんと素敵な光景でしょう!

船ばかりが主役ではなく、地区の老若男女、すべての人が参加してこその祭り!

このような小さな地区でのお祭りでは、地区の全員で盛り上げていくことが大きな意義を持ちます。
世代が変わり、住民が変わっていっても、参加することによって、伝統を守っていけるだと私は思うのです。

提灯の飾りつけも終わり、とっぷりと日が暮れると、いよいよ神楽船の出航です。



気合いの入った船方さん
「よーそろ」と、威勢のよい船方さんの掛け声が響き渡ります。
岸辺からは歓声と拍手が起こり、褌姿も凛々しい船方さんの気合も十分。

岸辺を離れた神楽船は、ゆっくりと内海橋と千歳橋の間を往復します。
その距離といえば、およそ500mしかありませんが、ゆっくりとゆっくりと進む神楽船の姿は典雅そのもの。
どことなく哀愁が漂う笛太鼓のお囃子も、夢心地に誘います。
私も、しばしカメラを持つ手を休めて、美しい伝統の祭りに酔いしれます。


提灯の灯が水面を幻想的に照らします

江戸の昔、海運業盛大・航海安全を願って裕福な船主によって始められた内海神楽船祭りは、時を経て地域の人々の強い結束と互いの幸せを願う祭りになっていました。

ゆらゆらと光の尾をひいて川面をゆく神楽船
その昔、千石船を駆って荒海に漕ぎ出していった勇壮な男たちとそれを見送った町衆。
そんなドラマのひとコマが垣間見れたような気がしたのは、私だけかしら・・・
大きな富と繁栄をもたらした時代は静かに幕を閉じたけれど、海の男の心意気は今も昔も変わらないのです。

この日も、川面に映し出される光のページェントにすっかり魅了された私の一日。
やっぱり祭りは、私に元気と活力を分けてくれます。
さあ、秋祭りの季節の開幕です!
今年は、いくつお伝えすることができるかな。
皆さんもぜひ、ご近所の秋祭り見物に出掛けてみてはいかがですか?



おまけ   内海海岸からの夕景

内海神楽船祭りの行われるのは、旧暦の8月17日に近い土曜日で、潮の関係上(干潮では船が漕ぎ出せないそうです)今年は、9月13日に行われました。
機会があれば、来年行ってみてくださいね。

内田佐七邸については→http://www.tac-net.ne.jp/~mannai/uchidake_02.html

本日も最後までお付き合いくださいまして、ありがとうございました。
ではまた、次のお祭りでお会いしましょう(^^)/





2 件のコメント:

  1. いつもながら、事前の調査から、現地での調査・取材を済ませて本番の祭りを迎える周到さ、頭が下がります。
    神楽船の写真さえ綺麗に撮ればいいという事ではないところは、もう民俗学者ですね。
    写真はもちろんプロですけれど、その写真に写っているものの何たるかを説明できる調査・取材があることで、写真の価値が格段に重くなっていますね。
    見習うべきことではあるけれど、つい簡単に、無闇に、「撮るだけ写真」になってしまいます。

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    1. 酒井さん、こんにちは。
      いつも読んで下さってありがとうございます。
      カメラを担いで町を歩いていると、その地の人たちが気軽に話しかけてくれます。
      皆さん優しくて、自分の町の祭りに誇りを持っていらっしゃる。
      だから私も、その情熱を皆さんに伝えたくて、つい長々と書いてしまうのです。
      祭りに出合い、人に出会い、町を知って、みんな我が心の故郷になります(*´▽`*)

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