2013年10月14日月曜日

川面を照らす篝火に悠久の時を偲ぶ    -犬山市 木曽川うかい-


木曽川うかい

こんにちは。
またまた長い間のご無沙汰でございます<(_ _)>
はや10月も中盤となり、今頃なんのこっちゃでございますが、今回は夏の風物詩「木曽川うかい」を紹介させていただきます。
言い訳っぽいですが、今年の夏はかつてないほどの酷暑。
暑さに負けてモタモタゴロゴロしている間に9月が過ぎ、あっという間に10月を迎えてしまいました。
どうぞお許しくださりませ。


屋形船からの見物

更に言い訳が重なりますが、今日ご紹介する「木曽川うかい」は6月から始まり10月まで続くという長丁場、その間に書ければいいかなどと甘く考えていたのワタクシなのですが、気がつけばとうとう今年の鵜飼も10月15日にて終わりとなってしまいました。
いやはや、本当に申し訳ないことです。
と言っても私が勝手に書いているだけで、別に犬山市や鵜飼運営会社からの回し者でもないので関係ないのですが・・・(~_~;)


鵜匠さんと鵜

さて、今回ご紹介するのは、いつものお祭りではなく、季節の風物詩、伝統の「木曽川うかい」とその周辺の見どころです。
皆さんは、鵜飼漁というものを見たことはありますか?
聞いたことはあっても、実際にこの伝統漁法が残っている地域は限られていて、実際に見ることのできる機会はそんなにありませんよね。
そういう私も、今日ご紹介する犬山市の近隣に住んでいながら「いつかは観たい」と思いつつ、観る機会を持ちませんでした。
友人とも「いつか観にいきたいよね」などと話題にはのぼるものの、なまじ近いせいもあって、なかなか観に行こうともしなかったというのが正直なところです。
しかし、こんなことではいつまでたっても観られそうもありません。
そこで、思い立ったが吉日とばかりに、観覧船を運営する会社に電話で問い合わせてみると、今日は空きがあるとのこと。(木曽川うかいは、基本的に当日予約では観ることができませんが、お弁当付きのコースでなければ、空きがあればOKだそうです)
せっかくの鵜飼見物、ひとりではつまらないので強引に友人を誘って出かけることにしました。




国宝茶室「如庵」

そうと決まったら、鵜飼いの始まる時刻まで待てないせっかちな私です。
犬山に行くのであったら、以前から観たかった織田信長の実弟で茶人であった織田有楽斎(おだうらくさい)が建てた国宝茶室「如庵」を観に行こうと友人を急き立てて、午後3時に犬山に到着しました。
鵜飼い観覧の屋形船の出発時刻は午後6時50分です。
充分な時間があるので、車を乗船場の駐車場に置いて、茶室「如庵」のある有楽苑まで歩くことにしました。





苔の美しい有楽苑庭園
乗船場から有楽苑までの距離は約1㎞。
そんなに離れた距離ではないのですが、通り雨の後の犬山は猛烈な蒸し暑さ。
暑いだのなんだのとグダグダと文句並べる友人を無理やりひっぱって歩くこと20分で到着した有楽苑は、木曽川河畔に建つ名鉄犬山ホテルの敷地内にありました。
こんもりとした木々に囲まれ、ひっそりとした佇まいの庭園有楽苑は、さほど広い庭園ではありませんが、四季折々を楽しめるであろう日本古来の植物に彩られた苔の美しい日本庭園でした。

お行儀が悪いけれど、内部ちょっと覗き見

順路に従ってゆっくりと散策してゆくと、サルスベリやヤブランといった季節の花々が迎えてくれます。
枝先に小さな花を咲かせ始めた萩が風情ある表情を見せてくれたりもしましたよ。
そして、庭園のほぼ中央に国宝茶室「如庵」があります。
外からみた限りでは、そんなに侘びた佇まいでもなく、狭苦しい感じでもないことに、ちょっと驚きでしたが、小窓から覗くと中は、やはり狭いようです。



雨上がりの露に濡れた白萩の花
多くの茶室を見てきた訳ではないので、よくは分かりませんが、庵(いおり)と呼ぶには少し綺麗過ぎるような気もします。
庵と聞くと、利休の愛した“わびさび”の世界を連想しちゃうからでしょうね。
「如庵」には、武家の隠居所といった風情が感じられました。

元和4年(1618年)に建てられというこの茶室は、織田有楽斎が京都市の建仁寺の正伝院に建てた茶室を移築したものですが、京都から直接移築された訳ではなく、明治期から運命に流されるように主を変え、移築を繰り返しながら昭和47年、ここ犬山の地に来ました。


茶室に隣接する重要文化財 旧正伝院書院

織田有楽斎という人物の人となりに興味はあっても、茶室については詳しくないので、案内パンフレットから紹介させていただくと、その造りは、単層杮(こけら)葺き入母屋造り、内部は二畳半台目の向切りの茶室とのことです。
“入母屋造り杮葺き” までは分かりますが “二畳半台目の向切り” とは、なんのこっちゃわかりませんのでお許しくだされ<(_ _)>
また、壁の腰部分には当時の和紙に描かれた暦が張られていて、別名暦の席といわれているそうですよ。
これは、小窓からしっかり覗いてきたので、フムフム納得(o^-')b



木曽川夕景
「如庵(じょあん)」の名の由来は、織田有楽斎のクリスチャンネーム「Joan」からきているといわれますが、という文字は、仏教的には教えに従うというような意味があります。
~の如く(ナントカのごとく)と使われるように、自然にあるいは時流に逆らうことなく身を任そうという意味もあるのではないでしょうかね。
有楽斎の生き様を追ってみると、そんな考えに至りました。
豪放な織田信長の弟として生まれ、後に家臣に等しかった豊臣秀吉に仕え、秀吉と徳川家康の間を行き来して、戦乱の世を生き抜いた織田有楽斎。



有楽苑に咲くサルスベリの花
決して悪い意味じゃないけれど、如才ない人物とは彼のような人のことを指すのじゃないでしょうか?
戦国史をひもとけば、日和見主義な卑怯者の扱いを受けてもいるようですが、それが生き残る術であった時代においては、“賢い” 選択であったのでしょう。
そんな時代背景の中で、数寄者(すきもの)として茶の湯を極め、ちゃんと長生きもして後世にその名を残す訳ですから冷静沈着な人であったと想像できますね。
千利休の門弟でありながら、猿真似に終始した大名の茶の湯とは一線を画すところも、やっぱり並みの人物ではないように思えます。



国宝 犬山城

この茶室「如庵」にしても、まるで有楽斎の生き様が乗り移ったかのような変遷に耐えて、今日に至る訳ですから、なにかそこに壮大なロマンを感じるのは私だけでしょうか?
国宝茶室「如庵」は、月1回だけ内部を特別に公開しています。
往復ハガキでの申し込みなので、ご覧になりたい方は前もって準備が必要ですね。
ちなみに特別公開の見学料金は2,300円だそうです。(普段は入場料1,000円、お抹茶500円)


屋形船から見上げる犬山城

拝観についての情報はこちら↓
http://www.m-inuyama-h.co.jp/urakuen/joan/special.php
私のように思いつきで行っちゃった方は、小窓から中を覗き込みましょう、いつも開いているとは限りませんが・・・(@ ̄ρ ̄@)
そして犬山市の最大の見どころと言えば、なんといっても国宝犬山城です。
今回は時間の都合もあり、見学することも出来なかったので割愛させていただきますが、城下町の街並みも美しく、とても活気ある良いところですよ。



屋形船から眺める木曽川夕景
犬山祭りに関しては、以前に紹介させて頂きましたが、またいつの日かお城と美しい城下町についてもご紹介できたらと思っています。

さて、この辺で鵜飼見物屋形船に乗船することにしましょう。

私が訪れた8月の後半は、まだ日が長く乗船時刻の6時50分といえば、ちょうど陽が落ちた直後あたりでした。
夕暮れの時刻から、宵の街灯りが灯る頃にゆっくりと漕ぎ出す屋形船。
それはもう筆舌には表せない美しい光景が広がります。



イケメンな鵜匠さん

河畔から見る光景とはひと味違う、川面から見上げる犬山城の雄々しさは格別です。
川面に映る街灯り、橋を行きかう車さえも日頃の喧騒を感じさせません。
舟遊びとは、こんなにも典雅なものかとしみじみとひとり悦に入る私・・・
しかし、悦に入ってばかりもいられないのがカメラマニアの性(さが)でして ( ̄◇ ̄;)


巧みに鵜を操る鵜匠さん

なんとかいい写真が撮れないものかと右を見たり左をみたり、刻々と変わる明度に四苦八苦、とても優雅とは程遠い姿での舟遊びになってしまったことは言うに及ばないでしょう(>_<)
あっ!誰か屋形船の中で、へっぴり腰で撮影している私を想像したでしょう(~_~;)

では、この辺で「木曽川うかい」の歴史と伝統をご紹介しましょう。
この地方で一番有名な鵜飼と云えば、岐阜市の「長良川鵜飼」ですが、実は「木曽川うかい」だって歴史的には負けていません。


船着き場に居たウミウ

しかし、岐阜市の長良川鵜飼の場合は6人の鵜匠が宮内庁式部職に所属、その技は親から子へ代々受け継がれていく世襲制であり、存続の心配もない国家公務員の方々。
また、宮内庁に献上するための「御料鵜飼」も年8回行われ、木曽川うかいの鵜匠さんとは違い、長良川鵜飼の鵜匠さんのほとんどは専業だそうす。
木曽川うかいの鵜匠さんは、犬山市の観光課の職員さんで地方公務員の方々。
まあ、仕方のないことですが、という点では、まさしく“別格”とされている長良川鵜飼ほどの知名度はありません。
だからと言って「木曽川うかい」が劣っている訳じゃ、決してありませんよ!
古式ゆかしい装束に身を包んだ凛々しい鵜匠さんの姿も、鵜を操る手綱さばきも、340余年の伝統を誇る素晴らしいものです。


「なか乗り」さんと「とも乗り」さん

犬山うかいの歴史は、今から約340年前に犬山城三代目城主“成瀬正親公”が御料鵜飼として始められ、鵜匠を保護したことから始まると言われています。
蛇足ですが、国宝犬山城もつい最近までは、成瀬家の個人所有のお城でしたよ(o^-')b
あわわ、また話が逸れそうなので基!
そもそも、鵜飼い漁法の歴史は古く、日本書紀にも記されている伝統の漁法です。


篝火ひとつの灯りののもとで行われる鵜飼漁

この地方の最も古い資料によると、大宝2年(702年)の各務郡中里の戸籍に「鵜養部目都良売(うかいべめづらめ)」との記述があるそうで、少なくても1300年もの長きにわたり受け継がれてきた伝統漁であったことが読み取れます。
一時は衰退したものの、明治時代になると木曽川での鵜飼い漁を復興しようという運動が始まります。
明治32年(1899年)に鵜飼鎌次郎の尽力でその伝統漁が復活、そして明治42年には観光を目的として行われるようになりました。


大活躍のウミウ

またまた蛇足ですが、愛知・岐阜の辺りには鵜飼さんという苗字の方が多いです。
それひとつをとっても、鵜飼いの歴史を感じられますよね(o^-')b

では、次は鵜飼いについてのみどころを少々。
鵜飼い漁は、すっかり陽が沈み暗くなった時刻に始まります。

(犬山では昼鵜飼いもやっていますが、やっぱり夜がお勧めです)


何本もの手縄を操る鵜匠さん

鵜舟の全長は13m、舟には鵜匠の他、舵取り役や船漕ぎ役の「なか乗り」「とも乗り」と呼ばれる人が同乗し、3人ひと組で漁を行います。
鵜を操るのは鵜匠ひとりですが、「とも乗り」や「なか乗り」の人も鮎を飲みこんだ鵜から鮎を取り出したりして漁のお手伝いをします。
なんといっても鵜飼い漁の見どころは、舟の先端に取り付けられた篝火。
暗闇の中、煌々と燃えさかる篝火に照らされて川面に浮かび上がる鵜舟、古式ゆかしい装束の鵜匠さんの素晴らしい手綱さばき。



ウミウの口から鮎を取り出します

次々と水の中に潜っては浮き出てくる海鵜(ウミウ)の姿も健気です。
一部の外国の方には鵜飼い漁が理解出来ず、動物虐待のように映るようですが、決してそんなことはありません。
通常の海鵜の寿命は4~5年だそうですが、鵜匠さんによって大事に育てられた鵜飼いの鵜は、10~20年も生きるのだそうです。
人と鵜が寝食を共にして生まれる絆なのですねd('-^o)
鵜飼漁で活躍する鵜の数は8羽・10羽・12羽と日によって違うそうですが、偶数に限られているそうです。
また、鵜匠さんの衣装は、風折烏帽子(かざおれえぼし)・木綿の漁服(りょうふく)に胸当て胴着・腰蓑(こしみの)姿、ちなみに腰蓑の藁紐の数は365本だそうです。
一年365日、毎日漁が出来ますようにという意味だそうですよ。



鵜匠さんは鵜と仲良しなのですね(^▽^)

かの俳人、松尾芭蕉の句に おもろうて やがて悲しき 鵜舟かな いう名句があります。
意味合い的には、獲った鮎を食べることが出来ない鵜が可哀想だな といった感じではありますが、私が見たこの日も、最後には鵜匠さんが頑張った鵜を労り、ご褒美の鮎をあげていました。

今年の鵜飼いも、もう終わりの季節にはなってしまいましたが、屋形船に揺られての鵜飼い見物は、340余年の時空を越えて鵜飼い見物を愛でた“殿様”気分にしてくれますよ。

私もまた、美しい日本の伝統文化に出会うことができ、楽しい一日でした。
皆さんも機会があれば、是非いつの日か見学されてはいかがですか?
今年は、美しい女性の鵜匠さんもデビューされたそうですよ(^_-)-☆

では、今日はこの辺で失礼いたします。
今日も最後まで読んでくださってありがとうございました。
また次のお祭りでお会いしましょう(^.^)/~~~

追伸:木曽川うかいのホームページはこちら↓
http://www.kisogawa-kankou.com




9 件のコメント:

  1. 木曽川のうかいまだ見たことありませんが、とても素敵な写真と随筆楽しませて頂きました。見に行きたくなります!屋形船から眺める木曽川夕景の写真も幻想的で好きです!

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  2. Okada先生、コメントを下さり、大変嬉しいです。
    屋形船揺られ、ゆったりとした時を得て、戦国に生きぬいた武将に想いをめぐらす。
    ほんの2時間ほどの小さな舟旅ですが、心豊かで贅沢な時間でした。
    機会がございましたら、是非、鵜飼いを堪能しにいらっしゃってくださいね。

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  3. ウ~ン、ちょっと気持ちを整えて……、
    長い文章、臨場感のある表現、楽しい雰囲気が伝わってきました。第一印象は、変な見方ですが、「これだけの長文に間違いが無い」ということでした。何度も読み返し、推敲を重ねたことでしょう。
    写真の腕は流石ですね。人物の表情が撮れていてビックリ。最後の写真が一番気に入りました。
    そう言えば40年ほど前に犬山城に入ったことがありました。あまり覚えていませんが。それに、偶然ながら、友人が趣味でやっている陶芸の作業場が「恕庵(じょあん)」です。10月1日にアップした、「『 外山仁 作品展 』 陶板画 「写楽を写す」がそれです。
    鵜飼はまだ見たことがありませんが、アユの友釣りは昔やりましたよ。これは面白い。こんな漁法は世界でも珍しいと思います。ついでながら、我が家の隣は「やな漁」をやっています。
    次回の記事が楽しみです。

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  4. Sakaiさん、コメントを下さり、感謝いたします。
    拙い文章でお恥ずかしい限りですが、その時の想いを伝えたくて心を込めて一生懸命書きます。
    鵜飼漁は、一見動物虐待に見えてしまうのですが、鵜と人が一体になって互いの信頼関係により成り立つ漁法なんですよね。
    最後の鵜匠さんと鵜が寄り添う写真で、締め括ろうと決めていました。
    ありがとうございました(^▽^)

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  5. こでまりさん。
    こんばんは。
    今回の「こでまりブログ」も とても楽しかったですよ。
    「如庵」も「犬山城」も国宝なんですね。  すごーい。
    鵜飼は まだ行ったことありませんが、こでまりさんの 楽しいブログみて一度行ってみたくなりました~。 犬山も。  
    写真も 全部きれいですね。(^_^;)
    それでは、また楽しいブログ待ってまーす。
    寒暖の差が、おおきいから風邪などひかれませんように。

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    1. 留さん、ありがとうござおます。
      サボってばっかりのブログですが、これからもよろしくお願い致します。

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  6. 素晴らしい写真と洒脱な文章・・・相変わらず、一気に読ませて戴きました! 犬山城は、昔むかし、カレンダーで見て 一目惚れ・・・1番好きなお城です。 近いうちに、ぜひ、訪ねたいとおもっています。でも、私の場合、タブレットか携帯で撮る写真ですので・・・あまり期待はできませんが・・・カメラはとうとう、だめになってしましました~・・・・また、楽しみにしていますね。
    こでまりさん、ありがとうございます。ちなみに茶室は 素晴らしいですね・・・私の好きなタイプです(笑) 京都の茶室もいいですが、余りに枯れすぎている感じも・・・・ほんとうに素敵です。犬山城とともに是非! 鵜飼いは、ずーと憧れていますので、3セットで、素敵なすてきな御紹介に こころから感謝です(ニッコリ) 鳥越直子(操作がわからないので名前いれました。

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    1. 鳥越さん、お返事が遅くなって申し訳ありませんでした。
      いつも読んで頂いて感謝しております。
      いつか、犬山の町に是非ともお越しください。
      コメントありがとうござました。

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  7. こんばんは
    今日撮影場所でお会いした者です。
    ブログ記事、拝読させていただきました。
    細かいところまで、丁寧な文章と写真で記載されており感心いたしました。
    犬山は近いところなのに、数年前、春祭りを見に行ったきりで遠ざかっています。
    鵜飼にしてもお城にしても、観るところがいっぱいある街であることを、改めて感じさせられました。
    これからも時々お寄りさせていただきます。
    どうぞ宜しくお願いいたします。



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