2013年8月17日土曜日

絢爛豪華な鯨船山車が縦横無尽に鯨を追い詰める!     -四日市市 富田の鯨船行事-




神社丸(北島組)

こんにちは。

連日猛暑の日本列島ですが、皆様はお変わりなくお過ごしですか?
私の住む名古屋では、もはや35℃越えが当たり前になってしまって、30℃と聞くとなんだか涼しい気さえしてしまいます。
毎朝見る熱中症予報では、“危険な暑さ厳重注意” とありますが、危険な暑さと言われても、ずっと家に籠ってばかりはいられず、どう注意してよいものやらですよね。


神社丸(北島組)のハザシの少年


そんな中、先日、野菜直売所のレジに並んでいたら、私の前にいらっしゃったお年寄りが、ぐらりと揺れたかと思ったら、その場に座り込んでしまいました。
あわわ!急いで店員さんを呼んだのですが、救急車が到着するまでの10分間、店員さんは右往左往するばかり。
お年寄り(おじいさん)の頭を抱えていた私は身動きが出来ず、仕方なく、あれこれ店員さんに指示。

神社丸(北島組)回転

幸いにも意識は、しっかりとしておられたので、保冷用の氷を頂き、首筋と両脇に差し入れ、体温を下げることを最優先。

店にあった冷えていないアイソトニック飲料をもらって、ゆっくりと飲んで頂きました。
そうこうしているうちに救急車が到着したので、あとは救急隊員の方におまかせしまして、私はレジで自分の買い物の清算を済まして、さっさと帰ろうとしたのですが、なぜか店員さんが追いかけてくる・・・




北島組の鯨

「身内の方ではないのですか?」
「いいえ、違いますが?」
「あのぉ~、さっきのポカリ・・・」
「えっ?アイソトニック飲料のお金を払えと?」
なんか違うような気がしますが、指示したのは私です。
ハイハイ払いますよ、128円くらいね(ーー゛)!
128円で、グズグズいうのも嫌だったので、黙って支払いましたよ。


神社丸のはざしが鯨に向かって銛を放ちます

しかし、よく考えてみると、そのまま黙って帰っていたら、私は万引き犯にされちゃう訳ですよね。
一瞬、怒りが込み上げてきたけれど、128円で人助けが出来たと思えばどうでもよくなりました。
そんなことより、想定されるこういった非常事態に対応出来ない店員さんばかりだという事が嘆かわしいじゃありませんか!
って、また関係ない話から始まっちゃいましたね(~_~;)


神社丸対鯨のぶつかり合い


さて、そんな話は置いといて。
相変わらずの猛暑日となった終戦記念日の8月15日、私は懲りもせず祭り見物に出かけました。
もちろん、熱中症になってはいけないので、水筒には韓国の友人が送ってくれた朝鮮人参エキス入り塩蜂蜜レモン水とペットボトルのお茶を1本をリュックに詰め込んで、カメラ2台を肩に出発進行!
この日の目的地は三重県の四日市市です。


手前が神社丸、奥が神徳丸鳥居を挟んでの練り合い


三重県といえば、お隣の県ではありますが、我が家からは渋滞さえなければ非常に便利な高速道路を乗り継いで30分あまりで行けてしまうのです。
盆休み期間でもあるので多少の渋滞は覚悟して出かけたのですが、なんと渋滞もなくスーイスイ。
湾岸を横ぎるその道は、大きな青空が広がっていて素晴らしい景色です。
なんとも素敵なドライブ日和。


本練りが行われる鳥出神社境内


出来ることなら運転席じゃなくて助手席に乗ってドライブしたいものですよ。
・・・ひとりゴチる私 ( ̄◇ ̄;)
ってなわけで、ドライブは約40分で終了。
とりあえず、目的地の鳥出神社の周辺に到着。
駐車場は用意されてはいないとの情報なので、大型スーパーの大駐車場に停めさせてもらって歩くことにしました。(帰りにちゃんと買い物もしましたから許してね)

神徳丸(中島組)

しかし、車を降りてナビがなくなってしまうと方向音痴の私には西も東もさっぱり分かりません。
方法はひとつ!道行く人に尋ねるしかないのです。
ぐるり見渡したところ、ゆるゆると自転車をこぐおじいさん発見!
さっそく声を掛けました。
「すいません、今日祭りの行われる神社はどこですか?」
すると、おじいさんは、「喧嘩か?鯨の方か?今日はあっちこっちの神社で祭りがあるぞ」



中島組の鯨と神徳丸
と、おっしゃるではないですか!
ああ、喧嘩祭りも今日だったっけ(^_^.)
「鯨の方の鳥出神社です」
「よし、ワシが連れてってやる!」と、ご親切にも道案内をしてくれると言うのです。
ありがたや、ありがたや、感謝感激だったのですが・・・
このおじいさん、自転車から降りてくれないのです。
いくら、ゆるゆる走行とは言え、私は小走りに付いていくしかありません。
「どっから来たんだ?」と問われても、息が切れてまともに答えられない始末の私。


神徳丸(中島組)のハザシの少年

正直、祭囃子が聞こえてきた時はホッとしましたよ、ああ近くまで来たんだなと。
幸い15分ほどで到着しましたが、あと10分走らされたらぶっ倒れていたかも(@ ̄ρ ̄@)
それでも、このご親切には感謝しなくちゃ!
息も絶え絶えに「ありがとうございました」と丁寧に頭を下げると、おじいさんは爽やかに片手をあげて、またゆるゆると戻って行かれました。


神徳丸{中島組)

ところで話は変わりますが、皆さんは四日市市と聞けばどんな町を想像なさいますか?
私が子供だった頃は、光化学スモッグが漂う工業地帯、石油コンビナートの町というマイナスな印象の町でした。
現在は、工業地帯の夜景が美しい町として人気のスポットではありますが、そんな夜景の美しい海辺であっても、当時の面影はほとんど残っておらず、やぱり工業地帯のイメージだけが強くて、その昔、この町が漁業で栄えていた町であるとは、なかなか想像できませんでした。


勢い余って転覆の神徳丸?!

そんな訳で、私には、どうしてこの町に捕鯨の祭りが残っているのかイマイチ、ピンとこなかったのです。
しかし、考えてみれば恵み豊かな伊勢湾に面しているわけですから、その昔は豊かな漁場だったに違いありません。
幕末から明治にかけては、肥料などの海運基地として発展し、明治から大正時代にかけては紡績工場によって大きくなった四日市港は、やがて商工業都市として大きく変貌していったそうです。


神徳丸のハザシが放った銛は見事に鯨に命中

昭和になってからは、軍需産業発展の一翼をにない、戦後は復興の象徴ともいえる一大工業都市に変貌し続けた町なのです。
現在の風景からは想像出来なくても、江戸の時代には長閑な漁村の風景が広がっていたのでしょうね。

さて、話は鳥出神社に戻りましょう。
本日ご紹介するお祭りは、鳥出神社の鯨船行事(とりでじんじゃのくじらぶねぎょうじ)という、四日市市富田地区に伝わる伝統的なお祭りです。



神徳丸対権現丸の練り合い

一般的には富田の鯨船祭り(とみたのくじらぶねまつり)と呼ばれていて、こちらの方が馴染みやすい呼び方ですよね。
しかし、国の重要無形民俗文化財としての名称は鳥出神社の鯨船行事というのが正しいようです。
歴史や由来は後々説明する事として、まずは先ほどおじいさんに連れられてやってきた鳥出神社からの中継といきましょう。
おかげさまで無事鳥出神社に到着したのですが、神社の境内は思いのほか賑わってはいませんでした。

中島組の鯨かぶりのお兄さん

露店屋台も、わずか3軒ほど。
いつもなら、ズラリと並んでいるはずの三脚の放列などまったくありません。
本格的なカメラを携えたカメラマンもほとんどいないような・・・?

どういうことなのでしょう?
今日ご紹介するのは、国の重要無形民俗文化財ですよ。
重要無形民俗文化財のランクとしては最も高い国指定ですよ。
けれど、見まわしてみてもまばらな人垣。
この場にいらっしゃるのは近隣の方々だけの様子です。

権現丸(古川町)

この中部地方に住んでウン十年の私ですが、確かにこの祭りのうわさを耳にしたことも無く、最近まで知らなかったお祭りではありますが、・・・(^_^.)
それにしても、こんなにも観客が少ないとは少々拍子抜けの感が否めません。
前もって、だいたいの流れは勉強してきたものの、ひょっとして、ハズレ?!
つまらないのかも・・・とさえ、勘ぐってしまった私でした。


権現丸と古川町の鯨

しか~し!それはとんでもない間違いでした。
始まると同時に、私は、かつてないほど、その迫力にグイグイ惹きこまれていきましたよ。
もう、興奮です。
シャッターを押す手が止まりません。
空いているので、どの場所からも、どの角度でも自由に撮り放題。
ただ、迫力があるというだけじゃないのです!
見事なまでの気品と優雅さも兼ね備えている完成度の高さ(@_@;)


権現丸(古川町)の宮入り

筋立て(ストーリー)まで、しっかりとあるお祭りなんぞ、そうはありません!
面白くないようだったら適当なところで帰ろうなどど、少しでも侮ってしまった自分を大反省。
何度も言うようですが、国の重要無形民俗文化財が興味深くない訳がないですよね。
絢爛豪華で何とも美しい鯨船山車
その鯨船山車に乗り、美しい衣装に身を包んで采配を振るうハザシと呼ばれる少年の見事な舞い。


権現丸(古川町)のハザシの少年

鯨船山車を左右に揺らし、荒波を表現しながら勇壮に曳きまわす男達
張りぼての鯨を被り、縦横無尽に暴れまくる鯨かぶりの若者。
勇壮な太鼓の演奏に、威勢のよい掛け声、抒情豊かな船唄。
なにをとっても、文句なし。
民話に基づいて進行していくこのお祭りは、筋立てがあり、観る人の目を飽きさせるこは決してないのです。
私がこんなことを言うのも変ですが、よく出来たストーリーと舞台装置、衣装と唄声。



古川町の鯨 対 中島組の鯨

ヘタなミュージカルを遥かに凌ぐ迫力と美しさです。
左右に激しく揺れる鯨船山車で舞うハザシと呼ばれる少年は、腰持ちのおじさんにしっかりと支えられ、荒波をものともせず優雅に舞い続けます。
は海原を縦横無尽に暴れ、ときに鯨船山車に向かって突進していきます。
その舞台となる鳥出神社の境内は、水を撒いても撒いてもモウモウと土煙が舞い上がり、その迫力にいっそう拍車が掛ります。



権現丸の回転


鯨船山車の追いつ追われつの大奮闘は、1時間ほど続き、やがて、追い詰められたが海中から浮き上がった瞬間、ハザシの放った銛が見事に命中するという筋立てです。
無事、仕留めることが出来たことを共に喜び、祝いの唄が歌われ一幕の終わりです。
ここで、この祭りには豊穣を寿ぐ意味があるということが分かりますね。
そして、もうひとつの意味は、後ほど紹介する民話の中にヒントがありますよ。


権現丸(古川町)

ちなみに、この祭りに登場するクジラはセミクジラだそうです。
体長15m程で、重さ60t以上にも及ぶ大きな鯨です。
富田地区には4台の鯨船山車があるそうですが、今年の鳥出神社の宮練りには、北島組の神社丸、中島組の神徳丸、古川町の権現丸の3台が、それぞれに素晴らしい宮練りの演技を奉納されました。
本当に、どの町のどの鯨船山車も誠に美しく、素晴らしい演技でした。



櫓漕ぎの少年

これもひとえに、伝承していくことの大切さをしっかり守ってくださっている富田の鯨船祭り保存会やそれぞれの自治会、あるいは婦人会があってこその祭りと言えると思います。

では、ここでこのお祭りの基となった民話をご紹介しましょう。
簡単に説明は出来ますが、語り口調が素敵だったので、富田鯨船祭り保存会様の資料から、そのまま抜粋させて頂きましたのでご了承ください。


昔々の大昔、伊勢湾でもくじらが取れたころのことやさ。
ある日のことやった。
沖のほうで、何本も水柱がたっかぁ上がったんや。くじらが何匹も現れたんやな。
漁師たちは、網のつくろいもそこそこに、勇んで船を出したんや。
親くじらは、子くじらをかばいながら泳いでいた。
猟師たちは何時間もの追跡に、銛を打てるまで鯨に近づいていったんや。
そして長い時間まっとった。
そしたら、息を継ごうとして、くじらが大きな体を海面から突き出して現れたんや。
親鯨と子鯨やった。ほしたら、その時親鯨は、銛打ちに哀願するように言ったんや。
「私たちは、はるか紀州の海から伊勢参りにやってきました。
せめて伊勢参りがすむまで見逃してください。」
親鯨の目からは大粒の涙が光った。
しかし、銛打ちは、親鯨の背中に、一番銛を打ちこんだんや。
見る見るうちに海は真っ赤に染まった。
苦しみながら、親鯨は、それでも訴えた。
「子供だけは、助けてやってください。」
しかし、漁師たちは、子鯨共々射止めてしもたんや。 
ほしたところが、それからというものは、富田の浜では一匹の魚も網にかからん様になってしもたんや。
浜では、あの親子の鯨のたたりに違いあらへん・・とうわさしあった。
困りきった猟師たちは、親子の鯨の霊を慰めようと、伊勢参りにも行き、
もう二度と鯨は取らんと誓ったりしたんや。
ほんでやっと浜にも前のように魚が戻ってきた。

ほんでも、猟師たちは、あの勇壮な鯨取りを忘れることが出来やなんだんやな。
ほんで年に一度の夏祭りに、その勇ましかった鯨取りを、陸の上でしのぶことにしたんや。
これが富田の鯨船祭りの始まりなんや。



暴れ回る中島組の鯨


いかがですか?
とっても素朴な良いお話ですよね。
もうひとつの意味は分かりましたか?
そうです、豊かな恵みを下さった海への感謝、そして恵みを分け与えてくれた鯨に対する鎮魂なのです。
海の荒くれ漁師は、本当は心根の優しい人達だったのですね。
心が温まる話ではないですか。





北島組の鯨

ここで、またまた話はすっ飛びますが、実は私、子供の頃、捕鯨の本場和歌山県の太地町の近くの新宮市というところに父の転勤で5年ほど住んだことがありまして、案外鯨は身近だったのです。
太地町には「くじら博物館」があって、何度も見学に行った想い出があります。「くじら博物館」に展示されていた鯨の模型や、骨格標本の大きさにびっくりしたり、昔の捕鯨を再現したジオラマ展示をみて、大きな鯨に向かう当時の捕鯨船団の勇壮さに驚いたりしたものです。


射止めた鯨を祝って船尾を持ち上げる


外国の方に聞かれたら怒られそうですが、そういえば給食のメニューにも普通に鯨も出てきましたよ。
飼育されていた小さめのゴンドウグジラも可愛かったけれど、あの頃は鯨を食べてはいけないと考えてもみなかったなぁ~(^_^.)
そんな事を思い出したら、太地町には「捕鯨まつり」みたいなものがあったのかな?と気になりまして検索してみました。
「くじら祭り」なるものは見つかりましたが・・・



神徳丸(中島組)のハザシの少年


う~ん・・・(~_~;)
どうやら、伝統ある祭りではなくて、町おこし的な市民参加のお祭りのようでした。

こういうところが面白いですよね。
ありそうなところに祭りはなくて、ありそうもないようなところに残っている伝統行事。
しかも、陸の上で行われるってのが、なんとも楽しいと思いませんか?

神徳丸

話がどんどんそれていきそうなので、軌道修正しま~す。
では、このお祭りの歴史を少しだけお話して終わりにしたいと思います。
富田の鯨船祭りの起源は、はっきりとは分かっていないそうですが、北島組の神社丸の収納箱には嘉永6年(1853年)という年号の記載や、中島組の神徳丸の解体修理の折にみつかった艫の装飾金具には、文久4年(1864年)の年号が見つかったそうです。
約150年以上の歴史は間違いなくあるということですね。



神徳丸

また、鳥出神社には、江戸時代の御座船の模型が奉納されているそうです。
その御座船というのは、天皇や公家、将軍や大名といった貴人が乗るための豪華船の事でありまして、なんと御座船の模型といわれるモノは、鯨船山車と瓜二つなのだそうです。
その事実から推察したところ、漁村に伝わる漁師の民話とは別に、鯨船祭りは、お殿様の酔狂、あるいは、そこから発生した儀礼的な行事が祭りに変化していったのかもしれませんね。


北島組の青年

そうであれば、あの絢爛豪華な船山車や少年たちの雅やかな衣装にも納得がいきます。
それにしても、雅と勇壮、柔と剛が見事にマッチングしたお祭りです。
いままで私が、ご紹介してきたお祭りに比べると決して歴史は深い方ではないようですが、重要無形民俗文化財としての風格はどの祭りにも後れをとっていませんでしたよ。




富田の鯨船祭りは、天下の勇祭といわれているそうです。
私も “天下の奇祭” と呼ばれる祭りは各地でたくさん観てきましたが、天下の勇祭と称する祭りは、あまり聞いたことがありません。
しかし、その名称に恥じぬ勇壮で優雅な素晴らしい祭りでした。

現在でも年に1~2度、伊勢湾に迷いこんだ鯨の話がニュースで取沙汰されます。
これからの私は、そんなとき必ず、この天下の勇祭、富田の鯨船祭りを思い出すでしょう。

また、日本の素晴らしい伝統文化に出会えたことに感謝です。
そして、よそ者の私にまで少し塩味の冷たいお水をふるまって下さった中島組のご婦人の皆さん、そのお心使いが本当に嬉しかったです、ありがとうございました<(_ _)>

では、今日はこの辺で失礼いたします。
今回も最後まで読んで下さってありがとうございました。
また、次のお祭りでお会いしましょう(^.^)/~~~



2 件のコメント:

  1. 最初の写真の女優は何という人だろう、とずーと思っていました。
    それはさておき、一読後に感じたこと。文章の巧みさと、周到な準備の良さに脱帽ですね。実は文章に引き込まれて、写真はこれからじっくり見ようというありさまです。
    熱中症の人への対応と、店員の対応の対照。道案内の人の親切(?)とそれに対応する裕子さんの様子。屋台や人出の数。祭りの優雅さ、勇壮さ、そして興奮。カメラ2台を駆使して奮闘している様子を彷彿とさせます。
    このブログが原因で、この優雅で勇壮な祭りが来年から観光客殺到で「風の盆」並みにならないことを祈ります。
    伝説の文章もいいですね。地方の紹介文章、とりわけ昔の言い伝えは「かくあるべし」と思いました。
    以前、お伝えしたような気がしますが、私のところにも重要無形民俗文化財の毘沙門堂裸押し合い大祭(艇にもれず「日本三大奇祭」と言っています)があり、化け猫伝説もあります。でも、この伝説を言う人は今は皆無です。祭りは観光の道具になり過ぎる中、「鯨船祭り」は貴重だと思いました。
    これからじっくり、写真を拝見!

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  2. 酒井さん、読んでくださってありがとうございます。
    いつもこんな具合で、脱線しつつも読んで頂ける方に少しでも臨場感が伝わればと思い書いております。
    これが仕事ではないので、私の住む地域から日帰り出来るような範囲でしか紹介出来ませんが、それでもまだまだ知られていない祭りがいっぱいあります。
    これからも頑張って書いていきたいと思います。
    よろしくお願いいたします。

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