2013年6月26日水曜日

神々に捧げる豊穣の御田植神事  -志摩市磯部町 御田植祭-

美しい早乙女さん

こんにちは。
またまた2ヶ月のご無沙汰でした(~_~;)
いつもながら不定期で気ままなブログの更新にお付き合いくださり、誠にありがとうございます<(_ _)>
日本という小さな国であっても、全国を見渡せば何時も何処かでお祭りがあるものです。
しかし、
私の動ける範囲も時間もお金も限られていますから全国を渡り歩くわけにもいかないので、今回は私の住む愛知県のお隣、三重県にお邪魔いたしました。



賑わいをみせる伊勢神宮参道

三重県と言えば、なんといっても「お伊勢さん」
江戸の昔から “東海道中膝栗毛“ に出てくる “弥次さん” “喜多さん” もあこがれ、はるばるやって来たのが伊勢神宮。
誰もが一生に一度はお参りに訪れたい荘厳で格式高い伊勢神宮に私もお参りに行くことにしました。
20年に一度の大祭 “式年遷宮” の儀式を10月に控えた伊勢神宮は、とにかく凄い人出。
初詣の時期でもないのに、この人出とは・・・久々に訪れた私は、もうビックリ(@_@;)!


参道でもっとも有名な赤福本店

江戸時代を思わせる参道や横丁は活気あふれ、不景気なんてなんのそのの大賑わいです。

“式年遷宮” 効果なのか “アベノミクス” 効果なのかは、分かりませんが、やっぱり日本は平和なり・・・
そういう私も、平和なりぃ~の人混みにまみれて参詣を済ませ、伊勢名物の “てこね寿司” を頂き、赤福茶屋の “あかふく餅” で一服。
のんびりと散策などを楽しんだ訳ですが、今回は伊勢神宮にお参りするのが目的ではありませんでした。


忌竹(ゴンウチワ)

実は、この伊勢神宮とは少し離れた場所にある、伊勢神宮の別宮「伊雑宮(いざわのみや)」で行われる “御田植式” の祭祀を見学することが目的でだったのです。
毎年6月24日に行われる「伊雑宮の御田植祭」は、今年は月曜日にあたるため、どうせなら “伊勢参り” もしようという単純な思いつきでフラリと日曜日に車を飛ばして名古屋を発った私でしたが、伊勢界隈がこんなに混雑しているとは、つゆ知らず案外宿探しに苦労しました。
まぁ、そんなことはどうでもいいでしょうが、旅行は計画性が大事ですね ( ̄◇ ̄;)

「御田植祭」が行われる「伊雑宮」は、伊勢神宮のある伊勢市から鵜方方面に車で20分ほど下った志摩市磯部町にあります。
伊勢神宮の神領地でもある深い森の中のくねくねした道を抜けて出た小さな町が磯部町上之郷です。
「伊雑宮」の近くからは直接海は見えませんが、なんとなく潮風薫る半農半漁の町らしく、民家の軒先などにも漁網が干してあったりもします。

「伊雑宮」参道(社は撮影禁止)


行ってみれば「伊雑宮」は、私が想像していたものより思いのほか小さなお社でしたが、こんもりとした小さな森のに囲まれ、そこは伊勢神宮の管理下らしく、しっかりとした社務所とお札所があり、界隈には、ちょっとした参道や昔ながらの宿屋などもあって、伊勢神宮の別宮としての品がありました。

竹取神事の前ウォーミングアップ



さて、お祭りの実況に入る前に、ここでいつものお勉強時間です。
「伊雑宮」と “御田植祭” についてのお話をしましょう。
「伊雑宮」は、一般には「いぞうぐう」とか「磯部さん」と呼ばれているそうで、伊勢神宮内宮の別宮で、祀られているのは、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、伊勢神宮と同じですね。

竹取神事の前ウォーミングアップ


その歴史は、約2000年前の第11代垂仁天皇の時代といわれ、伊勢神宮におわせし倭姫命(やまとひめのみこと)が御贄地(みにえどころ=伊勢神宮へ奉る御供物を採る所)をお定めになるため、志摩の国をご巡行の際に、伊佐波登美命(いざわとみのみこと)が奉迎して、この地に創建したとされています。


竹取神事



その際の神話として、今も語り継がれている “7匹のサメ伝説” というのがあります。
“御田祭” の開催日6月24日というのが、倭姫命の巡幸の際に7匹のサメが野川を遡上して、倭姫命に「伊雑宮」の鎮座地を示した日ということなのですが、伊佐波登美命が、すなわちサメの親分っていうことなのでしょうかね?!


竹取神事
また、白真鶴(しろまなづる)伝説というのもありまして、こちらは伊勢神宮創建の翌年、鳥の鳴く声が昼夜高く聞こえて泣き止まずやかましかったので、倭姫命が使いを遣わすと、嶋(志摩)の国の伊雑の上方の葦原に、たわわに実った稲があり、その稲の1本を白い真名鶴がくわえながら鳴いていたのだそうです。

竹取神事を終えた後の一杯



それを聞かれた倭姫命は「恐し。事問ぬ鳥すら田を作り、皇大神に奉るものを」と感激され、その稲を抜穂にして、天照大御神の御前に奉ったのが、御田植祭の始まりとか・・・。
倭姫命は、稲の生えていた場所を「千田」と名付け、そこに天照皇大神の摂宮を造られたそうな。
それが「伊雑宮」ということでしょうかね。
いずれにせよ、神宿る伊勢の地にふさわしい伝説ですね。


竹取神事が終わると一旦田を整えます
そして、こうした伝説に登場するのが必ず動物であるのが、私は非常に興味深いと感じるのです。
その動物が、時には蛇であったり空想上の動物であったりもしますが、神の時代、人も動物も皆同ランクであり、一緒に国造りを成していったというところに壮大なロマンを感じませんか?
「人間よ!驕り高ぶることなかれ」と説いているようにも聞こえます。
アハ、また話が脱線してしまいましたね(~_~;)




田道人と早乙女が仲よく手を繋いで田んぼに入っていきます


磯部町「伊雑宮」の “御田植祭” は、「香取神宮(千葉県)」、「住吉大社(大阪)」とともに、“日本三大御田植祭”と呼ばれるもので、平成2年に国指定重要無形民俗文化財に指定されました。
古式ゆかしい、この祭りの始まりは平安時代末期か鎌倉時代初めと言われていますが、明治初頭 “御料田(御田植式の行われる田んぼ)” も明治政府のものとなり、一旦は中止を余儀なくされました。



御田植え神事が始まります

しかし、地元の人々の祭りに対する情熱は失せることなく、明治15年からは有志が虫除祈念という名目で古い祭りの形態を継承し、やがてその情熱が認められ再興願いは受理されて、ようやく “御田植祭” が復興することになったのだそうです。

では、万葉集の長歌から、この地を詠んだ一首ご紹介して、お勉強は終わりとしましょう。



可憐な早乙女さん


「御食(みけ)つ国 志摩の海女ならし 真熊野の小船に乗りて 沖辺漕ぐ見ゆ」

風光明媚な伊勢志摩の海岸線が目に浮かぶようでしょう。
海の幸、そして神に捧げる御神米、古来より朝廷に捧げられた実り豊かな、この地を詠った和歌です。


小謡を朗々と歌い上げながら舞う少年


さて、では一気にお祭りの中継にとびますよ。
御田植祭の儀式は朝8時過ぎ頃から始まってはいますが、一般観客が観られるのは11時頃からになります。
この日、10時半ころに到着した私は「伊雑宮」から少し離れてはいますが、用意された無料の一般駐車場に車を駐車して、神社に向かってゆっくりと散策しながら歩いていきました。

手に持っているのは簓摺(ささらすり)



天候はあまり上々とは言えませんが、昨日夜半に降った雨も止んでくれたので、湿気は多くてねっとり蒸し暑くても、久しぶりのお祭り見物です。

それだけでなんだか小躍りしたいような嬉しい気分です。
遠くからお祭りの号砲が聞こえてきましたよ、気分が盛り上がりますね。
参道に近づくと露店もチラホラ、これで昼食の心配もなくなりました。(近くにコンビニなどありませんから)
どこが “御料田(御田植式の行われる田んぼ)” なのかも分からないまま、まずは「伊雑宮」にお参りです。
すると、裸に鉢巻、白パンツの勇壮な男達の集団に遭遇。

小謡は1番から17番まであります


皆揃って、“御料田 ” に出発のようです。
こりゃ、遅れてはならじ!と、私はお参りもそこそこに集団について行くことにしました。
参道を歩く男達には、見物人から「パパ頑張ってぇー」「〇〇さん、頑張れ!」の声援が飛びます。
ご家族やお友達の方なのでしょうね。
いいですねぇ~ こういうの、大好きです。
「おう!」と片手を上げた方の笑顔が晴れやかでとても印象的でした。
私には、もちろん知り合いはいませんが、パパと呼ばれた方に肩入れしたくなっちゃいましたよ。


市松人形のように可愛らしい女の子が太鼓を敲きます


・・・で、到着したのが、“御料田”。

アチャー(>_<)、“御料田” の周りはギッシリと人波が・・・
遅かりし由良の助!←(年齢がバレそうですね、おそらく死語かと思われます<(_ _)>)
もう、始まっていた田道人(男性の田植え人)と早乙女(女性の田植え人)の “早苗取り” の儀式は撮ることが出来ませんでしたが、勇壮な泥んこ遊び?の “竹取神事” が始まる頃には、いつもの裏技でなんとかカメラポジション確保です(*^^)v



時代衣装も美しく


ぞくぞくと田んぼの畦道に集合した男達、さあ、泥んこ遊びが始まりますよ。
“竹取神事” とは、お田植えの前に行われる神事で水の張られた田んぼ中で、30人あまりの男達が縁起物の竹を取り合う、勇壮な神事です。
会場の一端に高く掲げられた忌竹を前に男達は、まず田んぼの中で準備運動よろしく、互いに泥団子を作ってぶつけ合ったり、泥の中でブロレスを繰り広げ合ったり、果ては田んぼにダイビング。
観客からは、大きな笑いと拍手喝采です。
年齢や地位など、まったく関係なく泥を掛けあう姿、これが実に無邪気で楽しそうなのです。


曇天の空模様

祭りは撮るばかりでは楽しめません。

やっぱり観客の感覚を味わなきゃねってことで、私も、しばしカメラを置いてこの熱狂ぶりを楽しみましたよ。
ひとしきりの泥んこ遊びが終わると、いよいよ “竹取神事” が始まりました。
高さ15mもあろう忌竹(磯部町ではゴンウチワと呼ばれています)には、中央に帆掛け舟の絵が描かれていて、その帆の中央には「太一」の文字。


帆掛け舟に「太一」の文字
それが何を意味するのかは分からず終いでしたが、これが、この地ならではの “御田植祭” のポイントでした。
なぜか?それは、おいおい説明するとして、いよいよ、この忌竹が引き倒されると、この竹の一片を獲ろうと激しい争奪戦が繰り広げられます。
この忌竹の先をめがけて泥の中をわれ先にと七転八倒。
どうやら相当大事な縁起物のようです。
争奪戦が終わると、総勢で田んぼの中央でこの忌竹を3回ほど引き回し、最後は竹を引きずり近くの川へと退場して “竹取神事” は終了です。
では、先ほどのポイントの種あかしをしましょう。

聞くところによると、この竹の一片を船に祀れば豊漁となると伝えらているそうなのです。



竹笹を掴み獲った裸男さん
田んぼのお祭りなのに、なんで船?と感じた方もいらっしゃるでしょう。
これはまさしく、海の豊漁を願う神事でもあるのです。
この祭りが “御田植祭” にも関わらず、稲作の豊穣を祈るだけの祭祀ではなくて、半農半漁の暮らしを営んできた地元の祭りであることをよく理解できますよね。

その昔は、この荒々しい神事は、荒くれ漁師の独壇場であり、農村の人間は、むやみに近寄れなかったという話を聞いて納得です。




田んぼに映りこむ時代絵巻
さて、この迫力満点で愉快な神事が終わると、次は古式ゆかしく雅な “御田植え神事” へと場面が変わります。
まるで回り舞台を見ているような180度の方向転換。
先ほどの荒々しさはウソのように思えるほど、雅びな衣装を身にまとった可愛い少年少女と可憐な早乙女たちの登場です。
白い着物に赤い襷がけ、菅笠姿の可憐な早乙女たちは、ほんのりおしろい化粧も美しく、息を呑む清々しさです。



古式ゆかしい装束に身を包んだ太鼓打ちや簓摺(ささらすり)らによる田楽が響きわたる中、田道人(男性)と交互に並んだ早乙女は、ゆっくりと田に稲を挿していきます。
その雅らかな姿は観る人を魅了してやみません。
また、その後方では、これまた雅な時代衣装を身にまとい、白いお化粧姿の美少年が舞いながら高らかに小謡(コウタイ)を詠いあげます。
そのまた後ろには、小舟に乗った市松人形のような可愛らしい少女が謡に合わせて太鼓を敲いています。


まるで、黒沢監督の「夢」という映画の一場面のような幻想的ともいえる光景が目の前に広がっているのです。
あまりに美しく、信じられない想いにどっぷり浸ってしまった私は、しばし写真を撮るのも忘れて魅入ってしまいました。

本当に、その所作のひとつひとつが息をのむ美しさなのです。
うまく説明できませんが、もう、涙がでるくらい感動ものなのです。
ああ、ここへ来て良かった。
また、こんなに美しい日本に出会えた。
そんな喜びと感動がふつふつと湧いてきました。
少年による美しい小謡は17番の
「めでためでたの御神田もすめば 千秋楽こそめでたけれ」で結ばれました。


千客万来

その後、休憩をはさんで、“御料田” から「伊雑宮」までの200mを踊り込み歌を歌いながら、2 時間かけて練り歩くとのことでしたが、そろそろ帰らなければならない時刻となりました。

後ろ髪引かれる思いで歩いた “御料田” からの帰り道、改めて「伊雑宮」にお参りした私は、今日の祭りに出会えた事に感謝をして手を合せました。

伊勢の国では、一年中注連縄(しめなわ)を外さない風習があります。
民話に基づいた神々の住む国ならではの風習ですが、こんな注連縄を見つけましたよ。
「千客万来」・・・いつでも伊勢へいらっしゃい。
そう言ってくれているようで、なんだか嬉しくなりました。

まだまだ、日本には美しいお祭りがたくさん残っていることでしょう。
そのすべてを観ることは出来ないけれど、「どうぞ神様、また素晴らしい祭りとの出会いができますように」とお願いしてきたことは秘密です。
アレ、しゃべっちゃった(● ̄▽ ̄●)

では、今日はこの辺で失礼いたします。
また、次のお祭りでお会いしましょう(^▽^)/






2 件のコメント:

  1. 海野です。私も「夢」の一場面のような光景をこの目で見たかったです。

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    1. 文ちゃん、いつか一緒にお祭りを見に行けるといいですね。
      読んでくれて、ありがとう('▽'*)

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