2012年4月14日土曜日

山村に伝承される能・狂言  本巣市根尾能郷

能「高砂」

今日、ご紹介するのは、本巣市根尾能郷に代々伝承され続けてきた「能・狂言」です。
地名からして「能郷」ですから、いかに伝統があるのかが分かりますよね。
その歴史は古く、なんと650年もの永木に渡り受け継がれてきた伝統芸能なのです。
しかし、ここで先に申し上げておきますが、今回紹介する「能・狂言」は皆さんの想像する「能・狂言」とは少し違います。
それは、どういうことかと簡単に説明しますと、まだ世阿弥によって集大成された現在の形の「能」あるいは「狂言」ではなく、「猿楽」の原型を残す、この地でしか見られない「能・狂言」なのです。

能「翁」
それだけに、もっとも重要な民俗文化遺産として、昭和51年に国の重要無形民俗文化財に指定されました。
能郷の白山神社に於いて、毎年4月13日に奉納される神事「能郷 能・狂言」は、先ほど申し上げたとおり650年の歴史を有します。
650年前といえば室町時代。
やがて、観阿弥とその息子世阿弥の登場によって「能楽」という現代に続く「能」あるいは「狂言」に発展していくわけですが、それは都での話であり、この辺境の土地に於いての「能・狂言」は、まだ「猿楽」に近いものであったということなのです。
では「猿楽」とは、いったい何ぞやと思いますよね。

能「三番叟」

以前に紹介した「神楽(かぐら)」や「田楽(でんがく)」に比べ、「猿楽」は、現在ほとんど見ることのできない幻の芸能と云われています。
大陸から伝来した「散楽」が、「申楽」あるいは「猿楽」と呼ばれるようになったと云われていますが、定かではありません。
伝来した当初の「散楽」は、今で云う「神楽」や「田楽」の要素すべてをごちゃまぜにした、娯楽的要素の高い多種多様の芸の集合体であったと云われています。
そのころは、宮廷芸能である「雅楽」に対し、「猿楽」は身分の低い者の芸能と云われ、下賎と蔑まれた「傀儡子(くぐつし又はかいらい)」と呼ばれる旅芸人によって日本中に広まっていったのです。
その芸能が地方に根付き、その地の氏神に奉納される祭祀、あるいは豊年祈願や雨乞いの儀式として残っていったと云われています。
では、どのように「神楽」、「田楽」「猿楽」と別れていったのでしょうか。
狂言「丹波淡路」



「散楽」の要素のうち、「曲芸」や「舞い」などの部分を引き継いだのが、「神楽」と云えるでしょう。
「神楽」に関しては、主に神社の庇護のもと、「獅子舞」や「巫女舞」など、現在もあまり形を変えることなく残っています。
「田楽」は、主に農村で行われる豊作祈願や雨乞いの儀式として残りましたが、現在では山里に細々と残るのみです。

能「高砂」

「猿楽」に関していうなら、「猿楽」という言葉を残したのみですが、最も華麗に変身し、現在の「能楽」「狂言」に昇華したわけですから大出世というべきでしょう。
華麗な「能・狂言」も素敵ですが、素朴であった頃の「能・狂言」も見たいと思いませんか?
そこで私は、福井県との県境に近い、この山深い辺境(能郷の皆さんごめんなさい)の地まで、やってきました。
能郷に辿り着いたのは、ちょうど正午近く、飲食店などいっさいあろうはずもなく、1時からの公演に備えて腹ごしらえをしなくてはと考えていたところ、地元の惣菜を売る露店が一軒だけ準備を整えていたので、さっそく食べ物の確保に。
しかし、そこにはお弁当の類はありません。
ご飯こそ売ってはいないのですが、なんとまあ素朴で美味しそうな山菜料理がいっぱい。
天然わさび菜の漬物、アザミの茎の煮物、芋がらの煮物、新タケノコの煮物などetc.
狂言「烏帽子折り」




つきたての餅とおがずを買い込んで、用意されたビニールシートの見物席に座りみ、それらの惣菜を広げてひとりで食していると、隣町からいらっしゃったという二人連れのご婦人が声を掛けてくださいました。
嬉しいですよね、こういう時。
ひとりで黙々と食べるより、世間話でもしながら頂くと何倍も食事が美味しくなっちゃいます。
あら、また話が脱線してしまいましたね(>_<)
能「田村」

では、能郷の「能・狂言」の話に戻します。
能郷の「能・狂言」は、ここ能郷に住む「能楽衆」の家16戸によって代々守られてきました。
その伝統は厳格で、能方、狂言方、囃子方とそれそれの家が定まっていて、世襲制なのだそうです。
演目については、すべて口伝だと云うのですから、その家に生まれない限り習得はできませんよね。
しかし、過疎化、少子化により、後継者不足と云う問題も抱えているそうです。

狂言「鎮西八郎為朝」

そんな中で、この伝統芸能を守っていくのは、これから先も数々の困難があることでしょう。
厳しい規律だけに、観ているだけの私たちには何も出来ませんが、なんとしても後世に残すべき文化遺産です。
たくさんの人に知ってもらいたいなぁ、そうすれば道は開けると思うのですが・・・。

能「羅生門」



この辺で、この日行われた演目を少しだけ紹介します。
まずは、能の「式三番」
この演目は「千歳の舞」「翁」「三番叟」という順番で行われる神前への奉納舞です。
「千歳の舞」は「露払い」とも呼ばれ、子供が行うものとされているそうです。
「翁」の面は「白色尉」、五穀豊穣を祈る舞だそうです。
「三番叟」の面は、「黒色尉」、大地の目覚めを促す舞で、舞台を踏み鳴らし地霊を呼び起こします。
真摯な瞳で舞台見つめる、次世代の少年

次は、狂言「丹波淡路」、丹波の百姓と淡路の百姓の問答が面白い狂言です。
三番目の演目は、能のなかでも最も有名で、薪能などでよく演じられる演目「高砂」です。
神聖なる神の舞、寿ぎの舞でもあります。
そのほか、狂言「烏帽子折り」、能「田村」、狂言「鎮西八郎為朝」と3つの演目を能と狂言の交互に淀みなく演じられ、最後に能「羅生門」で締めくくられました。


天然記念物「薄墨桜」
どの演目、またお囃子も素晴らしく完成度の高い芸術で、私は、みるみる惹きこまれていきました。
しかし、このように素晴らしい伝統芸能なのに見物のお客様は100名弱と少ないことをとても残念に思いました。

近くには、宇野千代さんの小説で有名な天然記念物の「薄墨桜」があります。
この時期には、観光バスがガンガン押し寄せます。
能郷は、そこより更に山奥ではありますが・・
4月13日のたった一日の公演ですが・・・

「薄墨桜」を見にいらっしゃるなら、能郷の「能・狂言」という素晴らしい伝統芸能もぜひ観ていただきたいと、切に願うのみです。

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