2011年10月10日月曜日

後の月

十三夜の月
昨日は、十三夜。
十五夜に続いて、お月見しましたか?
両方の月を見ないと「片見月」といって、縁起が悪いそうですよ。

私は、ちゃんと見ましたからねぇ(^O^)
十三夜の月は、十五夜の月より、少しスリムでしたね。
月を見て、「私も痩せなきゃ」とつぶやいたのは、私だけ?

ちなみに、十日夜(とうかんや)の月見というのもありますぞ。
十日夜は、月見がメインの行事ではないので、月の満ち欠けに関係なく毎年11月10日と決まっているのだそうです。

十日夜は、田んぼの神様に感謝する日。
田んぼを見守ってくれた案山子に供え物をして、お月見をさせてあげる地方もあるんだって(@_@)
十五夜や十三夜のように月を愛で、風流を愉しむ感じではなくて、言わば、風習ですかな(-。-)y-゜゜゜

十五夜、十三夜、十日夜、すべてが晴れてお月見が出来たら、とっても縁起がいいそうですよ。
そうと聞いたら、ぜひ、見なくちゃ!晴れるといいですね。

柿・栗・アケビ
ところで、十三夜のことを「後の月」とも呼ぶことをご存じでした?
「のちのつき」・・・「のちのつき」・・・なんかいい響きじゃないですか?
でも、意味は?と調べると、ただ単純に十五夜のあとだから、後の月だそうです。
なんだか、がっかり・・・
ほら、「祭りの後」とか「嵐の後」とか、その後の物語みたいな、訳ありなストーリーがあるような気がしたんだけどなぁ(・.・;)

樋口一葉の小説「十三夜」は、封建時代に生きた女性の悲哀を描いた作品だけど、もしも私が「後の月」という題名の小説を書くとしたら・・・そうだなぁ、やっぱ恋愛小説かな(^_^.)

舞台は小京都と呼ばれる地方都市、主人公は夫を交通事故で失くした未亡人。
ひそやかに生きる彼女は、ひょんなことから女房に逃げられた子持ちの中年男と知り合う。
不器用なふたりが出会い、少しづつ心を通わせていく姿を淡々と情緒あふれる古都の風景に重ねて描いていく・・・なんて、どうですか?
そうですよね、ありがちなストーリー展開ですよね(-"-)
どうやら私は発想力不足で、小説家には、なれそうもありませんな(-_-;)

へたな妄想から話は戻して、月見の話。
十三夜は、「栗名月」ともいわれるそうですから、栗をお供えしてみましたよ。

十五夜の頃は、まだ「ススキ」もそこいら辺になかったので、花屋さんで買ってきましたけど、今は、どこにでも生えているので、散歩して取ってきましたよ。
でも私、イネ科の植物のアレルギーみたいです、なんだか鼻がムズムズしてきました。
それでも、月見飾りには「ススキ」が欠かせられません。
柿と栗の枝も買ってきて、なんとか生けてみたものの、柿の実が重たくて思うように生けられません。
花器は倒れてくるし、そうこうしていたら栗の実は落ちてしまうし、どんどんみすぼらしくなってゆく生け花と格闘すること1時間。
試行錯誤のすえ、どうやっても無駄だと悟り、あきらめた作品が写真のとおりです。
どうか、笑わないで下さいね。
散々な思いをして、やっと完成?した作品です。

毬栗が足の上に落ちてきたら、そりゃもう痛いのなんの、涙が出ちゃいましたよ(T_T)

そうまでして、月見のしたくをしてみたけれど・・・
ひとりベランダから見る満月、秋風が身に沁みますなぁ(-_-;)
いまさら、ひとりを嘆いたところで仕方ありませんが、死ぬまでひとりで月を眺めるのかと思うと、背中にゾッと寒気が走ったのでした。

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