2011年10月30日日曜日

うだつの町へ


うだつの町並み

以前から、訪れてみたい町がありましました。
卯建(うだつ)の町、美濃市です。
うだつのある町並みは、徳島県や長野県、また京都などにも残っているそうですが、美濃市もまた、江戸時代の商人の町の面影が色濃く残る町並みでした。

「うだつ」とは、簡単に説明すると、隣家との境いめの1階屋根と2階屋根の間に張り出すように設けられてた防火壁や屋根の両端を一段高くして火災の類焼を防ぐために造られた防火壁のことです。
うだつ




この地方は高台に位置し、水の便が悪く、度々の火災に遭ったため、隣家への類焼を防ぐため「うだつ」を設ける家々が多くなったそうです。
やがて、美濃和紙で栄えた商家やいろいろな商売を営む商家が軒を連ねるようになると「うだつ」は、建築においての意匠となり、装飾的ものが増えていきました。






次第に、「うだつ」は財力を誇る手段となり、豪商達は競って立派な「うだつ」を設けていったそうです。
裕福な家しか「うだつ」を設けることができなかったため、一般庶民の願いは「うだつ」のある家を持つこと、それが語源となった言葉が、「うだつが上がらない」だそうですよ。
むくり屋根の小坂邸




私も、いっこうに「うだつの上がらない」人生ですが、なんとか食べてはいけているので、良しとします。

さて、「うだつ」の説明は、これくらいにして、町並みの話をしましょう。
印象的だったのは、重要文化財でもある造り酒屋の小坂邸です。
外観的には、美しいむくり屋根が素晴らしく目をひくのですが、屋内の奥行の深さにも驚きです。
奥へと続く小坂邸



現在も、普通に生活や商売をされているので、すべて公開されているわけではありませんが、店舗先から中程までは、見せて頂けます。
しかし、そこから奥が、いったいどれだけ続いているのだろうと思うほどの奥行です。
造り酒屋さんですから、きっと奥のほうに醸造所や酒蔵などがあるのでしょうが、あれほど奥行のある家は見たこともありません、もう、びっくりです。



水琴窟のある旧今井邸中庭



資料館となって公開されている旧今井家邸は、家具や調度をそのままに残し、当時の商家の面影を再現した建物になっています。
母屋のほかに、離れや土蔵もある大きな邸宅で、中庭には大きな燈籠や水琴窟があり、一流商人の趣味の高さと、町人文化深さを知ることができます。


屋根神様



なまこ壁の土蔵
うだつの町には、そのほかにも、屋根神様が祀られている家があったり、なまこ壁の土蔵があったり、見応え充分です。





歴史的景観を守りながら、普通に暮らすのは、難しいことだと思います。
しかし、うだつの町並みは、とても自然に息づいていました。
町並みは古くても、ほとんどの家がまったく普通の生活を営んでいます。

観光施設がまったくないわけでもありませんが、お土産やさんやカフェが建ち並ぶ観光地とは違った静かな佇まいが、この町の気高さであるような感想を持ちました。

2011年10月24日月曜日

秋の犬山城まつり 山車揃え

山車揃え
小雨の土曜日、私は朝から天気が気になって、ベランダに出たり入ったり。
今日は、以前から愉しみに待っていた「秋の犬山城祭り」の日です。
どうしても見たかった「山車揃え」の日です。
でも、天気予報によると一日雨。
やっぱり中止だろうなと諦め、遅い朝食を食べながら撮り溜めしていた韓国ドラマを見ていたら、いつしか雨があがっていました。
ネットの情報では「小雨決行」とは書いてありましたが、「山車揃え」が決行されるのか、中止されるのか、家にいたのでは分かりません。
カバーをかけられた山車


たとえ、中止であったとしても、とりあえず行ってみよう!
そうと決めたらエンジン全開、大急ぎで家事を済ませ適当に化粧をして、30分後には高速道路を疾走していました。
行動力はあっても、計画性のない私ですから「行けばなんとかなる」と犬山城を目指しましたが、秋祭りが開催されていれば、交通規制で犬山市内に入って行くのは困難なはずです。
案の定、犬山市内は交通規制が敷かれていました。
しかし、交通規制が敷かれているということは、山車の巡行が行われているということでもあるので、嬉しくもなりました。
とにかく駐車場を探さなくてはと、規制地域の手前でうろうろしていたら、天気が悪かったせいか、案外簡単に駐車場を発見できました(^_^)/

提灯が取付けられていく山車

とりあえず、山車の集まっているはずの犬山城前広場に直行してみましたが、天候のせいで予定どおりに行事は進んでおらず、午後2時くらいには、全部の山車が到着するであろうとの事。
せっかく来たんだから、何時間でも待ちましょうと腰を据えて待っていると、1時を少し過ぎた頃から待望の山車が広場に入ってきました。
しかし、残念な事に、どの山車もレインコートを纏っているではないですか。
こんな天気だから仕方がないのかなぁ(*_*)
しかし、高さ8メートルの山車が、次々と広場入口で力強く方向転換をして入って来る姿は、レインコートは着ていても、迫力満点。
さすがに山車が12両揃うと、それはそれはりっぱなものです。
素晴らしいのひとことでは、語れないくらいの感動ですよ。
小雨も止んで、山車のカバーも外されていきました。

三層からなる山車の上山(上段)に「からくり」があるのが犬山の山車(やま)の特徴です。
中山(中段)に「からくり」を操る人が入りますが、操る姿が見えないように美しい刺繍幕が下がっています。
そして、(下山)下段には、小太鼓を叩く子供達のお囃子が入ります。
その姿はとても優雅で美しく、うっとり眺めていたら、また、小雨が・・・。
せっかく外されたビニールカバーが、また掛けれ、がっかり(>_<)
予定では、「からくり」の実演披露が始まるはずなのですが、この天気です。
何度も協議が繰り返され、結局、一部の山車だけの「からくり」披露となりました。
実のところ「からくり」は、高くて遠いので、よく見えずに終わりました。

夜山車
小雨は降ったり止んだりで、私が一番見たかった夜山車(よやま)まで天候がもつのか心配でしたが、夜山車決行のアナウスが流れ、ひと安心。
それぞれの山車に提灯が取り付けられていくのをワクワクしながら見守りましたが、またしても雨が・・・。
また、屋根にカバーが掛けられ、なかには、一度取り付けた提灯を外す山車もあります。
ええぇ・・・なんで・・・ここまで待ってたのにぃ・・・(゜o゜)




すると、こんな声が聞こえてきました。
「提灯1個二千円するんだよ。濡れてダメにしてしまうと町持ちなんで、お金が掛かるともめるからね」
ふふん、そうなのね。
でも、祭りなんだから、セコい事言わないでよ!って、関係ない私は思わずつぶやいたのした(-。-)
それぞれの山車に取り付けられた提灯の数は365個だそうです。
そりゃ、全部ダメになってしまったら大変だけど、ね。

「どんでん」車輪が持ち上がっている事に注目!

そうこうしている間に、雨は本降りになり、もう傘なしではいられません。
山車は、早々に町内に帰って行くこととなり、次々出発していきましたが、最後にしっかり「どんでん」を見せてくれました。
「どんでん」とは、大きな掛け声と共に、若衆が山車の前輪を担ぎあげ、そのまま一気に反転する力技です。
その迫力は、すっごいです。
これぞ、祭りの醍醐味ってやつですよ。

現在、犬山には全部で13両の山車があるそうですが、今回1両が修理中のため12両が勢揃いしました。
あいにくの天候ではありましたが、来て良かったと思える満足の一日でした。
そして、なんとしても、もう一度見てみたいと思える素晴らしい祭りでした。
次は、4月に犬山祭りがあるそうです。
絶対、また来るぞ!そう誓って、帰途についた私でした。


2011年10月19日水曜日

和の灯り

 
数字が書かれたモダンな和紙


秋の夜長は、薄明かりを愉しんでみませんか?
今宵は、テレビも消して、月明りと小さな行燈ひとつ。
虫の声に耳を澄まし、静かに盃を傾ける。
イヤァーッ!おとなだねぇ(^。^)y-.。o○ 
現実は虫の声ではなく、車の騒音しか聞こえてこないけど、それでも雰囲気だけでも愉しみましょう。

和の灯りと洋の明かりに、どんな違いがあるのかと言われると、特別区別は出来ないのだけれど、和の灯りは、ゆるやかで心が落ち着く光。
ちょっと薄暗くて、ぼんやりとしているけど、どこか懐かしくて安らげる光。
そんなイメージでしょうかね。

もちろん、薄暗い照明では生活に支障をきたすでしょうけど、煌々と明るければいいだけの暮らしも詰まらないじゃないですか。



行燈(あんどん)
たまには、薄明かりを愉しんでみましょうよ。
かっこよく言い換えればスローライフ、単純に言えば省エネ、なんか愉しそうでしょ(^_-)

たとえば、やわらかい光の中で音楽を聴いてみたら?
いつもより、心に沁みわたるかもしれません。

たとえば、ゆるやかな光のなかで会話をしたら?
いつもより、解かりあえるかもしれません。

たとえば、薄明かりのなかで、奥さんの顔を見たら
いつもより、綺麗に見えるかもしれません(゜o゜)!



イサムノグチ「AKARI」

和紙照明というと、イサムノグチの「AKARI」シリーズが有名ですね。
たしかに彫刻的でもあり、芸術品と呼べる照明ですよね。
障子を通して差し込む陽光のように、和紙を通して、やわらかい光を演出する照明は、岐阜提灯(ぎふちょうちん)から始まったプロジェクトだったと聞いています。

古さと新しさが共存するデザインは、イサムノグチが日系人であったからこそ生まれた発想だったのでしょうね。

和紙の照明


日本の伝統工芸である和紙を使った照明は、和室に限らず、洋間にも似合うモダンなデザインがいっぱいあります。
素敵な照明はいっぱい売っているけれど、どれも手作りだから少々お高い。
そこで、私が思い付いたのが、和紙を筒状に丸めただけの簡単行燈。
使わなくなった電気スタンドさえあれば、それにお気に入りの和紙をくるっと丸めて被せるだけでOKなんです。
とってもチープだけど、和紙の選び方ひとつで季節感を演出したり、気分を変えたりすることが出来ちゃいます。




紅葉の漉きこまれた和紙


そうなると、和紙を選ぶのが楽しくなります。
秋だから紅葉漉きこんだ和紙にしようとかな?
墨で書かれたアルファベットの和紙なら、ちょっとモダンで素敵。
なんてね。

和紙だけであれば、そんなに高価なものではありません。
安いものなら600円位から、高くても2,000円位で買えるのですよ。


竹の照明




和紙は広げて収納しておけば、何度でも使えますよ。
どうです?なかなかいい雰囲気でしょ(^O^)

和紙を使った照明ばかりではなく、竹を使った照明もいいもんですよ。
放射線状に洩れる光が幻想的で、気分転換したいときは、この暖かい灯りが一番なんです。
この照明は、東南アジア製の安価なものなんですけど、自分のフィーリングに合っていれば、どこのものでもいいと思うのです。



たんころ

 こちらは先日、足助の町で買った「たんころ」
竹と和紙を使った昔ながらの照明です。
素朴でぼんやりとした灯りが郷愁を呼び覚まし、日常のストレスを和らげてくれるような気がします。
足助町では、毎年8月に「たんころりんの夕涼み」というイベントがあって、古い町並みに「たんころ」がズラリと並ぶそうです。
夏になったら、ぜひ見に行こうと思ってます。




少し暗めな照明は、くつろぎのひと時を演出してくれます。
私達には、疲れた身体と疲れた心をリラックスさせてくれる、癒しの時間が必要です。
いつもと違う照明ひとつで、なんだか和風旅館でくつろいでいる気分になれるかも(^_^;)ですよ。


2011年10月17日月曜日

近代日本の木彫展



正直のなところ、碧南市藤井達吉現代美術館に車を走らせながら、これから見に行く展覧会に気乗りしていない自分と闘っていました。
なぜなら、私にとって「木彫」は、あまり興味がもてる分野ではなかったのです。
大変失礼なのだけれど、招待券を頂かなければ行こうとも思わなかったはずの展覧会なのです。

彫刻が嫌いなわけではありません。
現代彫刻に関しては、かなりたくさん見てきてもいます。
でも、木彫に関しては、今ひとつピンとこないのです。
「もくちょう」と読めば、日光東照宮が浮かんでくるし、「きぼり」と読めば、シャケをくわえた熊をイメージしてしまうのは、私だけでしょうか?

山崎朝雲「大葉子」


期待は出来なくても、勝手な思い込みや先入観はいけないと思い直し、碧南の町に入って行くと、美術館のあたりは車両通行禁止になっていました。
どうやら、町おこしイベントが開催されているようです。
なんで、こんな日に来てしまったんだろう、ついてないなぁ(>_<)
内心、イラッときたけど、ここまで来たからには、後戻りは出来ません。
おまわりさんに誘導されるまま、近所の駐車場に車をとめて、歩くことになりました。

開催されていたのは「大浜てらまちウォーキング」というイベントでした。
フリーマーケットや露店が立ち並び、けっこうな人出です。
私は、碧南市についてまったく知識がなく、知らなかったのですが碧南市は寺町なのだそうです。
なるほど、美術館の前にも古くてりっぱなお寺が建っています。
ちょっと立ち寄りたくなりましたが、とりあえず美術館に向かいました。

平櫛田中「落葉」




美術館には、企画展「抱きしめたい!近代日本の木彫展」の看板。
ここまで来ても、なんとなく・・・(-_-;)
企画にケチをつけるつもりはないけれど、「抱きしめたい!」と「木彫」この2つのキーワードが、私をこの展覧会から遠ざけます。

そんな先入観を捨てきれずに展示室に入っていった私ですが、第一展示室で、もうノックアウトされてしまいました。
いきなり、迫力に押し切られたしまったのです。
そこには、自分の中で、忘れかけてた東洋美術の原点がありました。

ブロンズや石彫、あるいは金属による抽象彫刻ばかり見てきた自分に気がつきました。
私は、木彫を知らなかったのです。
木彫に興味を持てなかったのは、木彫を見る機会がなかったからだと分かりました。


宮本理三郎「蛙」

正直いうと、私は具象彫刻があまり好きではありません。
特に、人体彫刻が苦手です。
ここだけの話ですが、「日展」の人体ばかり並んでいる展示屋に入ったら気持悪くなってしまったことがあるのです(-_-;)

村上炳人「虹」




そんな私が彫刻を語るのは、大変おこがましいのですが、今回の展覧会を見て、ヨーロッパが石の文化であるように、日本が木の文化の国であることを再認識するに至りました。
彫刻は、その地に根ざした素材により、進化していった芸術なんだと納得しました。

しかし、私達日本人は、木彫りの仏像を見ても、それを仏像としか認識しません。
木があまりにも身近すぎる素材であるため、仏像を彫刻とは考えないのだと思います。
表現する題材が仏様でないにせよ、工芸品なのか彫刻なのかの区別をつけるのは、とても難しいと思います。

船越 桂「つばさを拡げる鳥が見えた」




よく、「木のぬくもり」という言い方がされます。
どんな古木であっても「木は生きている」とも言われます。
すなわち、木は「無機質」な物体ではないことを意味します。
それは、はたして木彫にとってプラスなのでしょうか。

木であること自体に「ぬくもり」があると捉えれば、木彫には当然、魂みたいなものがあると確信されかねないと思うのです。

私にはよく分かりませんが、敢えて「木のぬくもり」を排除しようとしているのではないかと感じる作品もありました。

今回の展覧会は、私にとってたくさんの疑問を投げかけてきました。
正直、まだ木彫とは、すぐに仲良しになれそうもありません。
でも、これからは嫌がらず見ていこうと思わせてくれた展覧会でもありました。

2011年10月10日月曜日

後の月

十三夜の月
昨日は、十三夜。
十五夜に続いて、お月見しましたか?
両方の月を見ないと「片見月」といって、縁起が悪いそうですよ。

私は、ちゃんと見ましたからねぇ(^O^)
十三夜の月は、十五夜の月より、少しスリムでしたね。
月を見て、「私も痩せなきゃ」とつぶやいたのは、私だけ?

ちなみに、十日夜(とうかんや)の月見というのもありますぞ。
十日夜は、月見がメインの行事ではないので、月の満ち欠けに関係なく毎年11月10日と決まっているのだそうです。

十日夜は、田んぼの神様に感謝する日。
田んぼを見守ってくれた案山子に供え物をして、お月見をさせてあげる地方もあるんだって(@_@)
十五夜や十三夜のように月を愛で、風流を愉しむ感じではなくて、言わば、風習ですかな(-。-)y-゜゜゜

十五夜、十三夜、十日夜、すべてが晴れてお月見が出来たら、とっても縁起がいいそうですよ。
そうと聞いたら、ぜひ、見なくちゃ!晴れるといいですね。

柿・栗・アケビ
ところで、十三夜のことを「後の月」とも呼ぶことをご存じでした?
「のちのつき」・・・「のちのつき」・・・なんかいい響きじゃないですか?
でも、意味は?と調べると、ただ単純に十五夜のあとだから、後の月だそうです。
なんだか、がっかり・・・
ほら、「祭りの後」とか「嵐の後」とか、その後の物語みたいな、訳ありなストーリーがあるような気がしたんだけどなぁ(・.・;)

樋口一葉の小説「十三夜」は、封建時代に生きた女性の悲哀を描いた作品だけど、もしも私が「後の月」という題名の小説を書くとしたら・・・そうだなぁ、やっぱ恋愛小説かな(^_^.)

舞台は小京都と呼ばれる地方都市、主人公は夫を交通事故で失くした未亡人。
ひそやかに生きる彼女は、ひょんなことから女房に逃げられた子持ちの中年男と知り合う。
不器用なふたりが出会い、少しづつ心を通わせていく姿を淡々と情緒あふれる古都の風景に重ねて描いていく・・・なんて、どうですか?
そうですよね、ありがちなストーリー展開ですよね(-"-)
どうやら私は発想力不足で、小説家には、なれそうもありませんな(-_-;)

へたな妄想から話は戻して、月見の話。
十三夜は、「栗名月」ともいわれるそうですから、栗をお供えしてみましたよ。

十五夜の頃は、まだ「ススキ」もそこいら辺になかったので、花屋さんで買ってきましたけど、今は、どこにでも生えているので、散歩して取ってきましたよ。
でも私、イネ科の植物のアレルギーみたいです、なんだか鼻がムズムズしてきました。
それでも、月見飾りには「ススキ」が欠かせられません。
柿と栗の枝も買ってきて、なんとか生けてみたものの、柿の実が重たくて思うように生けられません。
花器は倒れてくるし、そうこうしていたら栗の実は落ちてしまうし、どんどんみすぼらしくなってゆく生け花と格闘すること1時間。
試行錯誤のすえ、どうやっても無駄だと悟り、あきらめた作品が写真のとおりです。
どうか、笑わないで下さいね。
散々な思いをして、やっと完成?した作品です。

毬栗が足の上に落ちてきたら、そりゃもう痛いのなんの、涙が出ちゃいましたよ(T_T)

そうまでして、月見のしたくをしてみたけれど・・・
ひとりベランダから見る満月、秋風が身に沁みますなぁ(-_-;)
いまさら、ひとりを嘆いたところで仕方ありませんが、死ぬまでひとりで月を眺めるのかと思うと、背中にゾッと寒気が走ったのでした。

岩倉神社 農村舞台

「義経千本桜吉野山道行」の段


足助まつりの帰り道、なにやら賑やかな神社が、見えてきました。
「うん?ここも祭りかな?」と思いながら、通り過ぎようとしたところ、「農村舞台芸能まつり」なる案内表示発見(@_@)

「農村舞台」?なんか面白そうです。
と、目の前をジャージ姿に歌舞伎の白塗りメイクの少年達が走り抜けて行くではないですか!
なんじゃ、なんじゃ、俄然、好奇心が沸いてきました。



いそいで車を止めて、少年をつかまえて「なにやってんの?」と聞いてみたら「歌舞伎」と言うではないですか!
あたりは暗くなり始めていて、まっすぐ家路に向かうつもりでしたが、どうせ家に帰ったところで誰が待ってる訳でもないし、「素人歌舞伎」なんぞ見られる機会は、そうありません。
これは、なんとしても見逃がす訳にはいかないのです。

車を農協の駐車場に駐車しなおし、勇んで岩倉神社に向かって行くと、聞こえてくるのは、カラオケで歌う、ちょっと調子はずれの歌声(失礼)です。
なんだ、地元のカラオケ大会かぁ(~_~;)

ちょっとがっかりしたけれど、そこでめげずに奥へ入って行くと、そこには、神社を背にして桟敷席が設けられたりっぱな舞台があるではないですか。
舞台の上には、「農村舞台」の札が掲げられています。
花道も設置されて、後ろには歌舞伎風の絵が描かれた幕も下がり、舞台装置は整っています。

地元の方々が、桟敷席で楽しそうにお弁当を食べている光景を見ていたら、なんだか「カラオケ大会も悪くないな」と思えてきました。


まっいいか!この舞台を知ることが出来ただけでも、満足しよう(^O^)!

仕方ないから帰ろうと思いましたが、とりあえず、また、白塗り少年をつかまえて「いつやるの?」って聞いてみたら「もう終わった」との答え。
がっかりしていたら、白塗り少年が「大人の人のは、もうじきやるよ」と教えてくれました。

静御前

そのやりとりを聞いてたおじさんが「せっかく来たんだで、みてきゃあ」とプログラムをくださいました。

そうなのか!今は幕間の余興なのね。
クライマックスは、大人が演じる「義経千本桜吉野山道行」の段なのか(ー_ー)!!
そこで、私も空いている桟敷席に陣取り、おばさんが歌う、聞いたこともない演歌に惜しみない拍手を贈り、歌舞伎が始まるのを待ちました。

佐藤忠信

いよいよ、素人歌舞伎が始まりました。
なかなか、どうして充分見応えのある演技です。
劇場での歌舞伎公演は、何度か観た事ありますが、野外での観劇は初めてです。
この日は、マイクの調子が悪いとかで、せりふは「地声をお聴き取りください」ということでしたが、役者のみなさんの声もよくとおり、マイクなどまったく必要ないと思える程でしたよ。
また、囃子方や長唄も素人とは思えないほど、素晴らしいのに驚きました(@_@)!


素人歌舞伎だからといって侮ってはいけません。
なにか、もっと滑稽なものを想像していた私は、深く反省したのでした。

それにしても残念なのは、プログラムにあった「南京玉すだれ」の余興が見られなかった事です。
みなさん知ってます?「南京玉すだれ」
懐かしいなぁ(*^_^*) 


♪あっさて、あっさて、さても南京玉すだれ♪
ひとり車を運転しながら、口ずさんで帰って行った私なのでした。

2011年10月9日日曜日

足助まつり

田町の山車



休日は、家でゴロゴロしてるのが慣例の私ですが、せっかくの三連休です。

さすがに三日間、くすぶっていても仕方ないので、どこかに出かけようと思い立ちました。
さて、どこへ行こうかな?

そうだ!秋祭りだ!って事で、さっそくネットで検索したところ「足助まつり」を見つけました。

足助町は、家から車で1時間半もあれば行ける距離です。
「ここだぁ!」と決めたら、超特急。
急いで洗濯物を干し、お掃除はルンバにまかせ、車で
GO!

足助町の町並み



足助町の「香嵐渓」は、紅葉の名所で、私も何度か訪れた事はありますが、足助町の街中を散策したことはありませんでした。

古い町並みが保存地区になったとは聞き及んでいましたが、実際のところ少々みくびっていたように思います。
実際、来てみると、さにあらんや立派な町並みではありませんか(@_@)!
足助町のみなさん、ごめんなさい(-_-;)・・・私が間違っていました。

マンリン小路

今日は、そんな素晴らしい町のお祭りの話です。
私が訪れたのは、10月8日で正確に言うと「試楽祭」といって、翌日の「本楽祭」の前夜祭のような日です。

私が足助町に着いた頃、ちょうど山車の組立が終わったところで、午後2時から町内の曳廻しが始まるとのことでした。

ちなみに足助町の方は、みなさんとても親切で、私がひとりでぶらぶらしてると「祭りを見に来たのか?」と声をかけてくださって、いろんなことを教えてくれました。




「鉄砲隊」が火縄銃を射つ時は、「ものすごい音だから」と耳栓をくださったり、詰所の前を通ればお菓子を下さったり、もう本当にありがたいことでした(T_T)

鉄砲隊



山車の曳廻しまで時間があったので、町並みを散策しました。
矢作川の支流、巴川を挟んで両側に家が建ち並んでいますが、おもに巴川の北側に宿場町の面影を残す古い町並みがあります。
白壁の土蔵や、格子戸、黒い板壁から往時の繁栄を窺い知ることができます。


新町の山車


ただ、町並みが残っているというのではなく、現在も、そこには生活があり、道行く人を受け入れてくれる「宿場町的親しみ」もしっかり残っていることが、なにより素晴らしいことだと思いました。

さて、話は祭りに戻って、いよいよ山車の曳廻しです。

足助町には、西町、新町、本町、田町の4台の山車があります。
山車は、6メートルあまりの高さで、造られた年代は不明だそうですが、大事に保存されてきたのでしょう、とても美しかったですよ。

西町の山車



その山車の形は「足助型」と呼ばれれるそうで、前方に出役棚があり、若い衆がそこで、日の丸の扇を振りながら踊って祭りを盛り上げていました。

静かなお囃子とは、対照的な若い衆の賑やかな踊りと掛け声が、なんとも不思議にマッチしていて、実に面白かったです。

本町の山車






日が落ちると、山車に提灯が吊るされ、いっそう華やかになるそうですが、残念ながら夜まで待てずに家路に着きました。

都会には、祭りらしい祭りがありません。
久しぶりに祭りらしい祭りに出会いて、とても楽しい一日でした。

いやぁ、日本の祭りは、奥が深い(ー_ー)!!



2011年10月3日月曜日

建物探訪(Ⅲ)撞木館

撞木館

前回に引き続き、「文化のみち」から、今日は「撞木館」を紹介します。
「撞木館」は、陶磁器商として活躍した井元為三郎が、大正末期から昭和初期に建てた邸宅です。

玄関のある2階建て洋館、その奥に廊下で繋がる平家建ての和館、和館の後ろには蔵が二つ並び、豪奢な姿を今に残しています。

テラス






1階洋館部分の応接室(現在は喫茶室)には、ステンドグラスに彩られた大きな掃出し窓があり、その窓を開け放てば、日本庭園に続く広いテラスとなっています。

玄関ホール


「二葉館」と同様に、この洋館も各所に美しいステンドグラスが施されていますが、「二葉館」がアールヌーボー風の絵柄のステンドグラスだったのに比べ、「撞木館」はアールデコ風の絵柄のステンドグラスが使われています。
2階サンルーム






建物の形も曲線を多用した「二葉館」に比べ、「撞木館」は直線的でシンプルですが、「二葉館」とは、また違った気品を漂わせています。


庭園から臨む和室



しかし、この「撞木館」の素晴らしさは、洋館ばかりではなく、むしろ和館の方にあると言えると思います。
美しい日本庭園を臨む和館には、大小の和室が7部屋もあります。
ふすまを取り払えば、大広間になる日本家屋の利便性を生かし、いろいろな行事が行われたことでしょう。




井元為三郎は輸出陶磁器の商談を行うため、屋敷に多くのバイヤーを招待していたと言われています。 
私の勝手な推察ですが、そうしたバイヤー達の多くは外国人であったとすると、洋館の応接室より、日本庭園を臨む、この広々とした和室を利用したのではないかとも思えるのです。

台所


「撞木館」には、台所や浴室なども、そのまま残されており、私の好きな生活の「気配」も感じられます。
古い建物である以上、改修が必要な部分はたくさんあるとは思いますが、美しい部分や珍しい部分だけ残し、生活の部分を切り取ってしまう「見世物」的な公開には、いつも納得いかない感じが残ります。
そういった意味では、「撞木館」は馴染みやすい建物でしたが、ひとつとても残念に思える事がありました。



和館の方は、ほとんどが貸室で「撞木館」とは関係ない展示物だらけになっていた事です。
床の間の前には、コスプレ女性の大きな写真がドーンと置かれ、鑑賞しようにも邪魔でなりません。
往時の人達の生活に思いを馳せるには、あまりに程遠い環境にがっかりしたのでした。
私が訪れた時が、たまたまそうだったのか、市民ギャラリーとして開放している以上、誰でも自由に展示できるのかも知れませんが「なんでもあり」の展示は、いかがなものでしょうか。
勝手なことを言うようですが・・・なんとかならないものでしょうかね(-_-;)