2011年10月17日月曜日

近代日本の木彫展



正直のなところ、碧南市藤井達吉現代美術館に車を走らせながら、これから見に行く展覧会に気乗りしていない自分と闘っていました。
なぜなら、私にとって「木彫」は、あまり興味がもてる分野ではなかったのです。
大変失礼なのだけれど、招待券を頂かなければ行こうとも思わなかったはずの展覧会なのです。

彫刻が嫌いなわけではありません。
現代彫刻に関しては、かなりたくさん見てきてもいます。
でも、木彫に関しては、今ひとつピンとこないのです。
「もくちょう」と読めば、日光東照宮が浮かんでくるし、「きぼり」と読めば、シャケをくわえた熊をイメージしてしまうのは、私だけでしょうか?

山崎朝雲「大葉子」


期待は出来なくても、勝手な思い込みや先入観はいけないと思い直し、碧南の町に入って行くと、美術館のあたりは車両通行禁止になっていました。
どうやら、町おこしイベントが開催されているようです。
なんで、こんな日に来てしまったんだろう、ついてないなぁ(>_<)
内心、イラッときたけど、ここまで来たからには、後戻りは出来ません。
おまわりさんに誘導されるまま、近所の駐車場に車をとめて、歩くことになりました。

開催されていたのは「大浜てらまちウォーキング」というイベントでした。
フリーマーケットや露店が立ち並び、けっこうな人出です。
私は、碧南市についてまったく知識がなく、知らなかったのですが碧南市は寺町なのだそうです。
なるほど、美術館の前にも古くてりっぱなお寺が建っています。
ちょっと立ち寄りたくなりましたが、とりあえず美術館に向かいました。

平櫛田中「落葉」




美術館には、企画展「抱きしめたい!近代日本の木彫展」の看板。
ここまで来ても、なんとなく・・・(-_-;)
企画にケチをつけるつもりはないけれど、「抱きしめたい!」と「木彫」この2つのキーワードが、私をこの展覧会から遠ざけます。

そんな先入観を捨てきれずに展示室に入っていった私ですが、第一展示室で、もうノックアウトされてしまいました。
いきなり、迫力に押し切られたしまったのです。
そこには、自分の中で、忘れかけてた東洋美術の原点がありました。

ブロンズや石彫、あるいは金属による抽象彫刻ばかり見てきた自分に気がつきました。
私は、木彫を知らなかったのです。
木彫に興味を持てなかったのは、木彫を見る機会がなかったからだと分かりました。


宮本理三郎「蛙」

正直いうと、私は具象彫刻があまり好きではありません。
特に、人体彫刻が苦手です。
ここだけの話ですが、「日展」の人体ばかり並んでいる展示屋に入ったら気持悪くなってしまったことがあるのです(-_-;)

村上炳人「虹」




そんな私が彫刻を語るのは、大変おこがましいのですが、今回の展覧会を見て、ヨーロッパが石の文化であるように、日本が木の文化の国であることを再認識するに至りました。
彫刻は、その地に根ざした素材により、進化していった芸術なんだと納得しました。

しかし、私達日本人は、木彫りの仏像を見ても、それを仏像としか認識しません。
木があまりにも身近すぎる素材であるため、仏像を彫刻とは考えないのだと思います。
表現する題材が仏様でないにせよ、工芸品なのか彫刻なのかの区別をつけるのは、とても難しいと思います。

船越 桂「つばさを拡げる鳥が見えた」




よく、「木のぬくもり」という言い方がされます。
どんな古木であっても「木は生きている」とも言われます。
すなわち、木は「無機質」な物体ではないことを意味します。
それは、はたして木彫にとってプラスなのでしょうか。

木であること自体に「ぬくもり」があると捉えれば、木彫には当然、魂みたいなものがあると確信されかねないと思うのです。

私にはよく分かりませんが、敢えて「木のぬくもり」を排除しようとしているのではないかと感じる作品もありました。

今回の展覧会は、私にとってたくさんの疑問を投げかけてきました。
正直、まだ木彫とは、すぐに仲良しになれそうもありません。
でも、これからは嫌がらず見ていこうと思わせてくれた展覧会でもありました。

0 件のコメント:

コメントを投稿