こんにちは。
2月も終わりだというのに今年は寒いですね。東北地方では、稀に見る大雪とか・・・
私の住む東海地方でも、本来なら梅が咲き乱れる時期のはずなんですけど、ちらりほらりと二つ三つという感じです。
冬将軍が、どっかりと居座ってなかなか春の女神が近づけないようですね。
さて、そんな寒い日が続いておりますが、今日も元気に楽しいお祭りをご紹介しますよ(^▽^)/
「きね」と「こさ」の縁起物 |
今日のお祭りは、名古屋市の無形民俗文化財に指定されている「きねこさ祭」です。
「きねこさ祭」・・・ちょっと面白い名前ですよね。
きね?こさ?きねこさ???
“きね”とは、お餅つきに使う杵のことですよね、でも“こさ”ってなあに?
“こさ”とは、杵からこすり落とした餅の意味だそうです。
ネーミングだけでも、こりゃなんだか面白そうな祭りです。
私の触覚にピピーンきましたよ♬
七所社 |
ってことで、祭りの行われる名古屋市中村区岩塚の七所社へGo!
長年、名古屋市内住んでいても新興住宅地に暮らす私には、中村区はあまり縁のないところ。
名古屋駅より西の方は、さっぱり未知の世界なのです。
庄内川のほとり、古くから拓けた下町情緒あふれる住宅地のなかに、その神社はありました。
川祭り神事 |
歴史も古く、この地方の記録には元慶8年(884年) の記載があり、そのころの創建と推測されているようです。
また、“応永32年(1425年) 吉田治郎右衛門守重社殿修造”との棟札あるそうで、少なくとも600年ほどの歴史があることは間違いありません。
七所社と云われる所以は、熱田七社神を祀っているためで、その七社とは熱田神宮・八剱宮・大幸田神社・日割御子神社・高座結御子神社・氷上姉子神社・上知我麻神社の七社のことです。
このブログでも、熱田神宮と氷上姉子神社の祭礼に関して以前に書きましたよね、憶えていらっしゃるかしら?
その他に末社として、白山社、熊野社、石神社、若宮社、天神社、神明社がお祀りされているそうです。
また、境内には、古墳や日本武尊腰掛岩と伝えられる石などもあり、ちょっとした冒険気分が味わえる森もありますよ。
地元消防団 |
「きねこさ祭」の歴史は、神社の創建と同じ頃とされ、千年以上の歴史があると伝えられています。
現在も使用されている祭礼時の衣装や祭具の形が、鎌倉時代以前の特色を残していることから、少なくとも鎌倉時代には、ほぼ現在と同様な形での祭礼が行われていたと推定出来るそうですよ。
祭礼は、後厄(42歳)の男性10名と厄年の子供2名の12名が主役で“役者”と呼ばれ、川祭り神事や古式行列、境内での厄除け神事を神官の随行のもとで執り行います。
“役者”さん |
“役者”は、神社内の社務所で3日間の潔斎(早朝の冷水での禊など)を経て当日を迎えるそうです。
なかなかに厳しいですね。
そして、隠れたる主役も存在します。
でも、それは・・・実況中継のお楽しみ、もうちょっと待ってね d('-^o)
また、佐屋街道から続く七所社の狭い参道入り口に飾られる大注連縄は氏子たちの手によるもので、それはそれは立派なものです。
大注連縄 |
こういう結束は、人口移入の大きい大都会では無くなっていく一方ですが、そこは古い下町ならではの良さですよね。
祭りの進行や警備、すべて地元の方々の努力の賜物で、よそ者の私などにも親切に話しかけてくださり、カメラポジションまで案内して下さったりで、もう感激しきりの私でした。
さて、神社の解説や祭りの歴史はこれくらいにして、お祭りの実況中継にいきましょうね。
私が現地に到着したのは正午過ぎ、ちょうど川祭り神事が始まろうという時刻です。
巫女舞 |
同じ名古屋市内であっても、名古屋の繁華街を縦断するのに結構時間がかかり、ギリギリの時間となってしまいました。
やっとの思いで車を駐車して神社に向かうと、警備の方が「川に行った方がいいよ」とすぐにアドバイスをくださいました。
重いカメラを担ぎ堤防を越えて河原に到着すると、平日にもかかわらず、そこにはもう多くの観客とカメラマンが待っていました。
対岸や橋の上にもショットを狙ったカメラマンが鈴なりです、凄っ(@_@;)
祭具を持った“役者” |
河原で、浴衣を脱ぎ捨てた“役者”さんたちは、寒さもモノとせず一気に川の中にジャブジャブ入っていきます。
あらかじめ指定された場所まで行くと、竹を川の中に突き刺して立て十人ほどがその竹を支えるように円陣を組みます。
そして、ひとりが竹に摑まって登り出し、種おろし祭文を一節唱え、持ってきた箱のような物(天王さんのお札)川へ投げ込み、するするとなおも上へ登っていって竹を折るのです。
祭具を持った子供の“役者” |
その竹の折れた方位がその年の恵方であれば、大吉と云う事です(o^-')b
良かったですね、今年も「大吉」でしたよ。
神事が無事終わり、“役者”さんたちが河岸に戻るとバンザイ三唱、観客の大拍手に迎えられます。
寒い中、ご苦労様でした<(_ _)>
“役者”さんたちは、浴衣を羽織ると、また元気な掛け声とともに神社に戻っていきました。
祭具を持った“役者” |
昔と違い、露店のジャンクフードも近頃はB級グルメの影響か、なかなかイケるものも多くて楽しいですね。
この日は地元の小学校は休校なんでしょうね、小学生が祭りなどそっちのけで露店の周囲に集まっていましたよ。
なんてったって、この年頃は露店が一番楽しみでしたものね。
私も遠い昔を思いだしました((+_+))
獅子舞 |
時間があったので、ひとり境内をゆっくり散策などしていると、地元のオジサンが親切にも案内してくださって、良いカメラポジションまで教えてくださいました。
どこへ行ってもそうですが、こうした一期一会の出会いでも祭りと共に心に残るものです。
ありがたや、ありがたや<(_ _)>
まあ、そんなこんなでウロウロしていると、神官、役者、氏子さんなどが、古くから伝わる衣装や黒礼服姿で、お囃子とともに参道を歩いて境内に入ってきました。
そして、そのまま神殿へと向かい、神事が始まります。
“役者”に杵で叩かれる本厄の男たち |
経験上から言うと、普通は神殿内は撮影禁止だと思うのですが・・・
そこで、警備の方に「撮ってもよいのですか?」と尋ねたら、あっさりと「いいですよ」(@_@;)!
じゃあ、遠慮なくということで、カメラマンの頭を掻き分けて参戦。
巫女舞だけ撮影させて頂きました。
扇子でピシャリ |
そして神殿での神事が終わると、いよいよ「きねこさ祭」の本番ともいえる“厄除け神事”が始まります。
どんなことが行われるのかは、先ほど地元のオジサンに聞いていたので楽しみでワクワクです。
このお祭り自体は、厄除け、子孫繁栄、天下太平、五穀豊穣などを願う一般的な意味合いを持つ祭りなのですが、どうやらこの祭りの最大のイベントは何と言っても“厄除け”にあるようです。
“役者”に杵で叩かれる本厄の男たち |
ここで先ほど、ちょっと触れた隠れた主役を紹介しましょう。
それは、今年本厄迎える黒い礼服で正装した男たちです。
可哀想に、この本厄男たちは、後厄の“役者”さんたちに“厄落とし”のため、思いっきり叩かれる役回りなのです。
つまり、ひとつ年上の兄さんたちの愛のムチを受けるって事です。
“役者”役の1歳先輩のお兄さんに向かって素直にお尻を差し出す本厄男の表情も、叩き役の“役者”さんも、とっても楽しそうです。
“役者”にコサで叩かれる本厄の男たち |
共に地元で育ったやんちゃ坊主の間柄だからこそ出来る、愛ある鉄拳と云うわけですね。
そりゃあ、もう遠慮や手加減なしの豪快なもんでして、見ている人は大笑い。
このとき使う叩く道具が、祭具である“杵”や“こさ”なのです。
また、大きな傘鉾を3~4人で持って、厄男めがけて突進します。
さすがに、このときは本厄男も身構えて応戦。
間違えて厄男の後に居ようものなら、大変な目に合う事間違いなし!
傘鉾で突撃 |
初めて見に行く方は気をつけてくださいね。
私はオジサンに教えて頂いていたので助かりましたけどね(*^^)v
参詣者の中には勇気ある人もいらして、“役者”さんに叩いてくれとお尻を向ける方もいらっしゃいますが、その時は手加減してくれますから大丈夫ですよ。大爆笑のこの大騒ぎが終わると、一般の参詣者の方々には“役者”さんたちが祭具で優しく頭をなでてくれます。
これで、一般の方も“厄落とし”ができるそうです。
もちろん、私もなでていただきました(^▽^)/
この日も、とっても素敵で楽しくて優しい方々に出会えました。
「きねこさ祭」は、地元のきねこさ祭保存会、七所社、及び地元中学の同窓生などの強い結束によって守られてきた由緒ある楽しいお祭りです。
名古屋という大都会の小さな町に伝わる祭りだこそ、情緒あふれるこの祭りがいつまでも続くことを願ってやみません。
ああ、楽しかった(≧∇≦)
今日も最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
それでは、本日はこの辺で。
また次のお祭りでお会いしましょう(^▽^)/
楽しいひと時のお裾分け・・・ありがとさんきゅっ♪v(*'-^*)^☆
返信削除読んでくださって、ありがとさんきゅっ(^_-)-☆
削除今回も とても楽しかったでーす。
削除最近はカメラポジションも案内されるほどお祭りブロガーの風格が・・・・
\(~o~)/ 福岡より
留さん、ありがとうございます。
返信削除春になったら、ガンガン行くよ~
また見てね(*^^)v