2011年12月26日月曜日

伊勢大神楽 増田神社

神来舞

好天に恵まれたの土曜日、私は友人と一緒に桑名市の増田神社に出掛けました。
クリスマスイブに、なぜ神社?って話なんですけど、この日は毎年、増田神社の境内で、伊勢太神楽が奉納される日なのです。
伊勢太神楽とは、伊勢神宮に参詣できない人達に代わって神楽を奉納する神事で、国の重要無形民族文化財に指定されています。
増田神社で行われる伊勢太神楽は、伊勢太神楽講社によるもので、普段は6組の社中が西日本を中心に全国を回っているそうです。
その6組の社中が、12月24日に本拠地の増田神社に集合し、総舞を奉納するのです。


四方の舞

これは、必見の価値あり!ってことで、私と同じくクリスマスイブだというのに、なんの用事もない暇人と連れ立って桑名市まで行ったわけですよ。

12時半からの開始ということなので、11時頃に到着した私達は、のんきに昼食をして12時過ぎに増田神社に入ったのですが、神社の境内は、すでに満杯状態(@_@;)!
増田神社は、小さな小さな神社だったのです。




その小さな神社の境内に、約200人以上の人々が集まってるのです。
一瞬たじろぎましたが、ここで、ひるんでいたのでは、ここまで来た意味がありません。
こういう場合には、躊躇なくおばさんに変身できる私は、おばさんパワーを発揮して人波を掻き分け、なんとか桟敷席を確保しました。

吉野舞




いよいよ、伊勢太神楽のはじまりです。
太神楽は、悪魔祓いと清めの神事である「舞」と、曲芸や万歳など娯楽性の高い放下芸を演目とした「曲」に分かれています。
「舞」の合間に「曲」と呼ばれる軽業や曲芸が組み込まれ、観客を飽きさせません。

玉獅子の曲


「曲」には、チャリと呼ばれる道化師が出てきて、放下師と呼ばれる曲芸師と万歳を繰り広げ、観衆を巻き込み笑いの渦に引き込みます。
蛇足ですが、あの「いつもより余計に廻っております」の海老一染之助・染太郎さんの曲芸も神楽芸だそうですよ、若い方は、ご存知ないかもしれませんが・・・(~_~;)
献燈の曲



勇壮な獅子舞や愉快な曲芸に見とれていた私達ですが、やがて桟敷席の居心地の悪さに耐えられなくなってきました。
砂利の上にゴザを敷いただけの桟敷席は、狭いし、痛いし、冷えるしで、もうどうにもなりません。
そのうえ、朝は晴れ渡った青空だったのに、やがて寒風が吹きすさび、みぞれまじりの雨がポツポツときたのです。
頑張って確保した桟敷席でしたが、あえなく移動することに・・・(>_<)
またまた人波を掻き分け、一旦は人垣を離れましたが、ここで諦める私ではありません。
でも、立見席には、どこにもつけいる隙などない状態です。

跳びの舞


周囲を見渡せば、石に上る人、木に登る人、用意周到に脚立を持ち込む人、ここにも隙などありません。
いくらなんでも演技の最中では、おばさんパワーで人垣を掻き分けるような傍迷惑な行為はできません。
そこで、今度はジワジワ作戦に切り替えました。
人垣の後方から、少しずつ隙間を見つけてジワジワ割り込んでいく作戦です。

皿の曲



少々姑息な手段ではありますが、これにはテクニックが必要です。
あくまでも、さり気なく押されたフリをして、よろけて「ごめんなさい」と微笑めば、大抵の方は隙間を作ってくださいます。
これを、時間をかけて何回か繰り返し、絶好なポジションに辿り着いた私ですが、アレ?友人の姿がありません。
どこかで見ているだろうから、「まっいいか」と思ったら、はるか後方に呆れ顔の友人がいました。

風にも負けず、みぞれにも負けず、頑張って見学していたのですが、カメラを持つ手は悴んで思うように動かなくなるし、トイレの我慢も限界となり、鼻水も垂れてきた時点で、とうとうギブアップ。
一番見たかった最後の演技「魁曲」という「舞」と「曲」が合体した大神楽を見ることなく、車に戻りました。
「魁曲」というのは、まさしく大神楽のクライマックスといえる曲芸で、獅子が、振袖姿の花魁に扮し、軽業を披露したり、早変わりをしたりする、もっとも見せ場の多い演技です。

この芸を見るために、桑名まで行ったのに、見られないとは残念でなりません<(`^´)>
こうなったら、来年もトライするしかありません。

来年は、脚立に座布団、カイロ持参でいくぞ~!


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