2013年2月27日水曜日

幼馴染たちが繰り広げる愉快な厄除け神事   -きねこさ祭-



こんにちは。
2月も終わりだというのに今年は寒いですね。東北地方では、稀に見る大雪とか・・・
私の住む東海地方でも、本来なら梅が咲き乱れる時期のはずなんですけど、ちらりほらりと二つ三つという感じです。
冬将軍が、どっかりと居座ってなかなか春の女神が近づけないようですね。


さて、そんな寒い日が続いておりますが、今日も元気に楽しいお祭りをご紹介しますよ(^▽^)/




「きね」と「こさ」の縁起物

今日のお祭りは、名古屋市の無形民俗文化財に指定されている「きねこさ祭」です。
「きねこさ祭」・・・ちょっと面白い名前ですよね。
きね?こさ?きねこさ???
“きね”とは、お餅つきに使う杵のことですよね、でも“こさ”ってなあに?
“こさ”とは、杵からこすり落とした餅の意味だそうです。
ネーミングだけでも、こりゃなんだか面白そうな祭りです。

私の触覚にピピーンきましたよ♬



七所社

ってことで、祭りの行われる名古屋市中村区岩塚の七所社へGo!
長年、名古屋市内住んでいても新興住宅地に暮らす私には、中村区はあまり縁のないところ。
名古屋駅より西の方は、さっぱり未知の世界なのです。


庄内川のほとり、古くから拓けた下町情緒あふれる住宅地のなかに、その神社はありました。



川祭り神事
街中の神社ゆえ、もっと小さな社を想像していた私なのですが、なかなかどうして立派なお社で、敷地内には宮司さんも住んでおられるそうです。
歴史も古く、この地方の記録には元慶8年(884年) の記載があり、そのころの創建と推測されているようです。
また、“応永32年(1425年) 吉田治郎右衛門守重社殿修造”との棟札あるそうで、少なくとも600年ほどの歴史があることは間違いありません。
七所社と云われる所以は、熱田七社神を祀っているためで、その七社とは熱田神宮・八剱宮・大幸田神社・日割御子神社・高座結御子神社・氷上姉子神社・上知我麻神社の七社のことです。



このブログでも、熱田神宮と氷上姉子神社の祭礼に関して以前に書きましたよね、憶えていらっしゃるかしら?

その他に末社として、白山社、熊野社、石神社、若宮社、天神社、神明社がお祀りされているそうです。
また、境内には、古墳や日本武尊腰掛岩と伝えられる石などもあり、ちょっとした冒険気分が味わえる森もありますよ。



地元消防団




「きねこさ祭」の歴史は、神社の創建と同じ頃とされ、千年以上の歴史があると伝えられています。
現在も使用されている祭礼時の衣装や祭具の形が、鎌倉時代以前の特色を残していることから、少なくとも鎌倉時代には、ほぼ現在と同様な形での祭礼が行われていたと推定出来るそうですよ。
祭礼は、後厄(42歳)の男性10名と厄年の子供2名の12名が主役で“役者”と呼ばれ、川祭り神事や古式行列、境内での厄除け神事を神官の随行のもとで執り行います。




“役者”さん

“役者”は、神社内の社務所で3日間の潔斎(早朝の冷水での禊など)を経て当日を迎えるそうです。
なかなかに厳しいですね。
そして、隠れたる主役も存在します。
でも、それは・・・実況中継のお楽しみ、もうちょっと待ってね d('-^o)

また、佐屋街道から続く七所社の狭い参道入り口に飾られる大注連縄は氏子たちの手によるもので、それはそれは立派なものです。



大注連縄

こういう結束は、人口移入の大きい大都会では無くなっていく一方ですが、そこは古い下町ならではの良さですよね。
祭りの進行や警備、すべて地元の方々の努力の賜物で、よそ者の私などにも親切に話しかけてくださり、カメラポジションまで案内して下さったりで、もう感激しきりの私でした。

さて、神社の解説や祭りの歴史はこれくらいにして、お祭りの実況中継にいきましょうね。
私が現地に到着したのは正午過ぎ、ちょうど川祭り神事が始まろうという時刻です。


巫女舞

同じ名古屋市内であっても、名古屋の繁華街を縦断するのに結構時間がかかり、ギリギリの時間となってしまいました。
やっとの思いで車を駐車して神社に向かうと、警備の方が「川に行った方がいいよ」とすぐにアドバイスをくださいました。
重いカメラを担ぎ堤防を越えて河原に到着すると、平日にもかかわらず、そこにはもう多くの観客とカメラマンが待っていました。
対岸や橋の上にもショットを狙ったカメラマンが鈴なりです、凄っ(@_@;)




祭具を持った“役者”
待つこと5分ほどで、元気な掛け声と共に下帯姿に浴衣を羽織った12人の“役者”さんが、1本の竹を担いでやって来ました。
河原で、浴衣を脱ぎ捨てた“役者”さんたちは、寒さもモノとせず一気に川の中にジャブジャブ入っていきます。
あらかじめ指定された場所まで行くと、竹を川の中に突き刺して立て十人ほどがその竹を支えるように円陣を組みます。
そして、ひとりが竹に摑まって登り出し、種おろし祭文を一節唱え、持ってきた箱のような物(天王さんのお札)川へ投げ込み、するするとなおも上へ登っていって竹を折るのです。



祭具を持った子供の“役者”

その竹の折れた方位がその年の恵方であれば、大吉と云う事です(o^-')b
良かったですね、今年も「大吉」でしたよ。
神事が無事終わり、“役者”さんたちが河岸に戻るとバンザイ三唱、観客の大拍手に迎えられます。
寒い中、ご苦労様でした<(_ _)>
“役者”さんたちは、浴衣を羽織ると、また元気な掛け声とともに神社に戻っていきました。




祭具を持った“役者”
私もえっさこらさと神社に戻ると、お腹が空いたので、参道に居並ぶ露店のジャンクフードで、お腹を満たし、2時半から始まる古式行列や厄除け神事に備えます。
昔と違い、露店のジャンクフードも近頃はB級グルメの影響か、なかなかイケるものも多くて楽しいですね。
この日は地元の小学校は休校なんでしょうね、小学生が祭りなどそっちのけで露店の周囲に集まっていましたよ。
なんてったって、この年頃は露店が一番楽しみでしたものね。
私も遠い昔を思いだしました((+_+))



獅子舞

時間があったので、ひとり境内をゆっくり散策などしていると、地元のオジサンが親切にも案内してくださって、良いカメラポジションまで教えてくださいました。
どこへ行ってもそうですが、こうした一期一会の出会いでも祭りと共に心に残るものです。
ありがたや、ありがたや<(_ _)>

まあ、そんなこんなでウロウロしていると、神官、役者、氏子さんなどが、古くから伝わる衣装や黒礼服姿で、お囃子とともに参道を歩いて境内に入ってきました。
そして、そのまま神殿へと向かい、神事が始まります。



“役者”に杵で叩かれる本厄の男たち
神殿には関係者じゃない者は入れないので、おとなしく境内で待っていたのですが、カメラを持った人達が外から神殿の中にカメラを向けています。
経験上から言うと、普通は神殿内は撮影禁止だと思うのですが・・・
そこで、警備の方に「撮ってもよいのですか?」と尋ねたら、あっさりと「いいですよ」(@_@;)!
じゃあ、遠慮なくということで、カメラマンの頭を掻き分けて参戦。
巫女舞だけ撮影させて頂きました。




扇子でピシャリ

そして神殿での神事が終わると、いよいよ「きねこさ祭」の本番ともいえる“厄除け神事”が始まります。
どんなことが行われるのかは、先ほど地元のオジサンに聞いていたので楽しみでワクワクです。
このお祭り自体は、厄除け、子孫繁栄、天下太平、五穀豊穣などを願う一般的な意味合いを持つ祭りなのですが、どうやらこの祭りの最大のイベントは何と言っても“厄除け”にあるようです。


“役者”に杵で叩かれる本厄の男たち

ここで先ほど、ちょっと触れた隠れた主役を紹介しましょう。
それは、今年本厄迎える黒い礼服で正装した男たちです。
可哀想に、この本厄男たちは、後厄の“役者”さんたちに“厄落とし”のため、思いっきり叩かれる役回りなのです。
つまり、ひとつ年上の兄さんたちの愛のムチを受けるって事です。
“役者”役の1歳先輩のお兄さんに向かって素直にお尻を差し出す本厄男の表情も、叩き役の“役者”さんも、とっても楽しそうです。




“役者”にコサで叩かれる本厄の男たち

共に地元で育ったやんちゃ坊主の間柄だからこそ出来る、愛ある鉄拳と云うわけですね。
そりゃあ、もう遠慮や手加減なしの豪快なもんでして、見ている人は大笑い。
このとき使う叩く道具が、祭具である“杵”や“こさ”なのです。
また、大きな傘鉾を3~4人で持って、厄男めがけて突進します。
さすがに、このときは本厄男も身構えて応戦。
間違えて厄男の後に居ようものなら、大変な目に合う事間違いなし!




傘鉾で突撃

初めて見に行く方は気をつけてくださいね。
私はオジサンに教えて頂いていたので助かりましたけどね(*^^)v

参詣者の中には勇気ある人もいらして、“役者”さんに叩いてくれとお尻を向ける方もいらっしゃいますが、その時は手加減してくれますから大丈夫ですよ。大爆笑のこの大騒ぎが終わると、一般の参詣者の方々には“役者”さんたちが祭具で優しく頭をなでてくれます。
これで、一般の方も“厄落とし”ができるそうです。
もちろん、私もなでていただきました(^▽^)/





この日も、とっても素敵で楽しくて優しい方々に出会えました。
「きねこさ祭」は、地元のきねこさ祭保存会、七所社、及び地元中学の同窓生などの強い結束によって守られてきた由緒ある楽しいお祭りです。
名古屋という大都会の小さな町に伝わる祭りだこそ、情緒あふれるこの祭りがいつまでも続くことを願ってやみません。
ああ、楽しかった(≧∇≦)

今日も最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
それでは、本日はこの辺で。
また次のお祭りでお会いしましょう(^▽^)/

2013年1月5日土曜日

天と地の和合、素朴でおおらか   -てんてこ祭-





皆様、あけましておめでとうございます!
本年も何卒よろしくお願い致します<(_ _)>

え~ 2ヶ月もサボってしまいまして、誠に面目ない次第でありますが、冬は祭りも少ないということで、好きなカメラを持ってフラフラと鳥など追いかけて彷徨い歩き回っていました(。-_-。)

さて、新年早々とんでもない写真から始まってしまってギョギョッ(@_@;)!
何じゃコレ!っと、ビックリされた方も多いかと・・・

今日ご紹介するのは、愛知県西尾市に1150年ほど前から伝わる奇祭「てんてこ祭」です。
「てんてこ祭」は、元々“大嘗祭(おおにえのまつり・だいじょうさい)” に由来する大変おめでたいお祭りであります。





“大嘗祭” とは、その年の新穀を天皇が神に捧げる儀式のことなのですが、では通常の “新嘗祭” とはどう違うのでしょう?
儀式としては、“大嘗祭” も “新嘗祭” もなんら変わりません。

意味合いとして違う点があって、それは “新しい天王が即位された年” に行われるのが “大嘗祭” であったということなのです。

もちろん、平成の世にあって今年が“大嘗祭”にあたる訳ではありません。
この祭りの起源が859年の清和天王の即位の年に現在の西尾市熱池(にいけ)一帯が神田に選ばれ、伊勢神宮への献上米を作ることをまかされたことから始まった祭りであったということです。



農民にとって、これは真に光栄なことであり、なんとしても良いお米を作らなければなりません。
そこで、神田の脇に社殿が設けられ豊年満作を祈る祭が行われるようになったのですね。

では、この奇妙な“いでたち”はなんなの?
平安の時代を生きる人々は、現代人より至ってシンプルでおおらかな人達でした。
天と地の和合があってこそ、作物が豊かに育ち、子孫も繁栄するという単純な思想のあらわれであって、なんら深い意味はないのです。



大地が女性であり、そこに種をまく男性がいて実りを迎える!
これほどシンプルな考え方になんの異論が必要でしょうか?

日本各地に生殖器崇拝あるいは信仰といったものがあると聞きますが、呪術的な崇拝など、この祭りに関しては微塵も感じらません。
そこには、伝統の祭りを淡々と受け継ぐ姿と純粋に祭りを寿ぐ人々がいるだけです。


“いでたち” こそ愉快ですが、特別派手な演出もなく、約2時間ほどで終了となる小さな町の小さな祭り。
「ザ・村祭り」といった風情が和みの雰囲気を漂わせていて、観ている人を間違いなく全員楽しい気分にさせてくれます。
いつもなら、ここで祭りの解説などを書きますが、この祭りに関しては小難しい鑑賞ポイントなどありません。


したがって、小難しい解説もしません。というより、あまりにシンプルな祭りゆえ書くことがないのです。なので・・・祭りの実況中継といきましょう。
祭りは、毎年1月3日の午後1時から始まります。
私が到着したのは、正午過ぎ。
用意されていた小学校の無料駐車場に車を駐車して歩くこと5分、公民館で祭りのパンフレットを貰って、時間と順路を確認。
もう大勢のカメラマンが三脚を立ててあちらこちらでスタンバっていらっしゃいます。
テレビ局も来ているようすで、なかなかに有名な祭りなんだなぁ~と実感です。
まぁ、私はいつものごとく “どうにかなるさ” の感覚で、まずは八幡社にお参りをして、出店のヤキソバを食べて腹ごしらえ ( ̄◇ ̄;)
なにせ初めての場所ですから、どこが撮影の絶好ポジションなのか分かりませんが、三脚がたくさん立っているところがそうなんでしょうな。
と、いうことで、なにげに三脚オジサンの群れに潜入・・・
チラリと睨まれはしますが、笑って誤魔化す得意技 (~_~;)


カメラもレンズも少し上級者モデルになったので 、オジサンたちも一目おいてくれる態度に変化。
「近頃の女性は凄いね」と声を掛けてくださって、しばしカメラ談義で行列を待ちます。
カメラ談義といっても、相変わらず私にはよく分からないので、これまた笑って相槌作戦。
自分のそつの無さに、我ながら少々あきれているうちに号砲と共に行列が出発したようです。
来ました!来ましたよ!
紋付袴姿の先駆(塩まき)を先頭に、神職・社守・町内会長・社寺2名,そして赤い覆面で赤い装束の6人の厄男さんたちの行列です。6人の厄男さんの1番目の人は、太鼓を肩にのせてテンテコと打ちながら歩きます。
それで「てんてこ祭」といわれる訳ですね、納得(o^-')b
2番目の厄男さんは、赤い風呂敷に包まれた「米櫃」のようなものを担いでいます。


3番目の厄男さんは、天秤棒のようなものを担いでいます。資料によると、茶樽になます(ぼらの飯鮓)と生魚が入っているのだそうです。
あとの3人は厄男さんは、竹の葉を束にした竹箒を持っています。
で、最初の写真のようなダイコンで出来た“男根”を腰のところに付けているのが、前3人の厄男さんたちです。
この行列の愉快なところは、時々止まっては太鼓の「テンテコ、テンテコ」に合わせて腰を前後にフリフリ!


ちょっと、艶かしい腰の振りに見物人から笑いが湧きます。
これが、大地に種まく男の姿かぁ~!
う~ん、なかなかキレのよい腰振り(≧∇≦)
頼もしい限りですな。

そんな愉快な行列は、やがて八幡社の境内に入ると一旦、神前に米やなますをお供えして、また境内を3周ほど腰をフリフリ行進します。
見物客は大喜び、実に愉快です(^▽^)
そんな中、カメラマンは腰につけた“モノ”を追いかけるのに必死。




なにせバックショットな訳ですから、後からゾロゾロついていく恰好になるのです。
ひたすら、お尻を狙われる厄男さんも変な感じでしょうね。

そんなこんなの行列が終わると、今度は竹箒を持った3人の厄男さんの登場です。

境内の横に結界で囲まれた場所があり、そこで作られた藁灰を竹箒で周囲の人の頭の上に撒き散らすのです。

私は人混みの中で、一瞬なにが起こったのか理解出来ませんでしたが、この灰を被ると厄除けになるとのこと。
写真なんかそっちのけで頭を差し出しましたよ、ご利益頂戴致しまする<(_ _)>
そして、このあと正月らしく餅投げなどが行われるそうですが、持ち投げはカメラを担いだ身には、少々危険なのでここらあたりで退散することにしました。




ちなみにこの祭り、昭和32年に愛知県無形民俗文化財に指定されたそうです。
特別古い装束でもなし、特別使う道具もなし、特別難しい舞があるでもなし、強いて言えばダイコンで “男根” を作るのが伝統の技だそうです ( ̄◇ ̄;)
でも、そんな素朴でおおらかな祭りだからこそ、1150年もの永きにわたり、受け継がれてきたのでしょうね。
なんだか私は、いままで伝統芸能にこだわり過ぎていたのかもしれないと反省しました。
祭りは祭り!
観る人もやる人も、楽しくてバンザイなんですよね。

いやぁ~ この日も楽しい祭りに出会えました。
皆さんも来年は、訪れてみませんか?
新年初笑いで、Happyな1年になること請け合いですよ!

では、今日はこの辺で失礼致します。
また、次の祭りでお会いしましょう(^▽^)/






2012年10月23日火曜日

手に汗握る地上12mでの迫真の演技   -大脇の梯子獅子 豊明市-

梯子獅子「藤下り」
こんにちは。
連日の更新で「お祭りには飽きた」と少々食傷気味の方もいらっしゃるかも知れませんが、秋祭り真っ盛りの季節なんで許してくださいね。
私にとって、祭りを訪ねるということは伝統文化を訪ねることであり、継承される努力をなさっている方にエールを送るとともに、ひとりでも多くの方に日本の奥深さを知っていただきたいという信念なのです。
その多くが「重要無形民俗文化財」と呼ばれるもので、“無形”の名が示すとおり、継承する努力を怠れば消えていく可能性もありうる行事なのです。


獅子頭
国や県、自治体のわずかな予算が割りあてられていたとしても、地域の人たち、あるいは「保存会」の人たちの努力によって守られてきただけにすぎません。
過疎化によって消えてしまった祭りも少なくないと聞きます。
そんなことになる前にひとつでも多く観ておきたい、そして伝えたいと願うばかりなのです。
ってな、少し大げさで偉そうなことを言ってしまいましたが、まぁ、ただのお祭り好きのオバサンのブログですから気軽に読んでいただければ嬉しいのですが・・・(^_^.)


歌舞

さて、余計な前置きはこれくらいにして、今回ご紹介する祭りも、またまた迫力満点のお祭りですよ(^o^)/
その名も「梯子獅子」
日本各地で“獅子舞”を観ることができると思いますがすが、なんてったって地上12mの高所で命綱もつけないで舞われる獅子舞なんて、そう観ることができないでしょう。
今日ご紹介するのは、ハラハラドキドキの連続、手に汗握るスリル満点の獅子舞なのです。


櫓と舞台
この祭りが行われるのは愛知県豊明市、名古屋市に隣接する小都市です。
近年は、名古屋市のベットタウンとして発展を続けていますが、まだまだ田園風景が広がる長閑なところですが、その昔は「桶狭間の合戦」の舞台ともなった地域でもあります。
今回の祭りの舞台となる「大脇神明社」は、江戸時代、大脇村と呼ばれていた地域の氏神様で、こじんまりとした神社ですが境内は広く、梯子獅子の大掛かりな舞台装置と広い観客席が余裕で楽しめる広さがあります。


幣舞



“獅子舞”自体の歴史については以前にも解説した通り、大陸からの伝来とされ、散楽(さんがく)となり、やがて神楽(かぐら)に枝分かれし、旅芸人によって広まっていったものです。
神楽=獅子舞ではありませんが、神楽において獅子舞は花形であり、したがって獅子舞の形態を残した祭礼がもっとも多く伝承されてきたといえるでしょう。
やがて、それぞれの地方に祭礼として根づいた“獅子舞”ですが、その意味合いは地方によって異なります。


お供物

海辺の村であれば漁に関するもので“豊漁祈願”や“安全祈願”であり、里山であれば“五穀豊穣”や“雨乞い”といった農事に関わるものが多いようです。
秋祭りに関して言えば、一般的に“豊作の感謝”といった意味合いがつよく、稲刈りも終わり農作業も一息つけるこの時期に村人が集まり、互いの労をねぎらい豊作を祝う行事とされています。
「大脇梯子獅子」においても、そういった意味合いで行われる奉納祭事なのだそうです。

余談ですが、日本の獅子舞には、大きく分けて伎楽(ぎがく)系と風流(ふうりゅう)系の二つの系統があるそうです。
おおまかに区別すると伎楽系は、胴幕の中に二人以上の人が入って舞う「二人獅子舞」が中心で、中部地方以南に多くみられ、風流舞は、関東・東北地方などで行われている鹿舞(ししおどり)と呼ばれるもので、鹿の頭をかぶり胸に太鼓を付けた一人舞い、太鼓を打ちながら踊るものが多いそうです。
「大脇梯子獅子」は、二人以上で行われる獅子舞ですから伎楽系の獅子舞といえるでしょう。

では、「大脇神明社」例祭の奉納芸能「大脇梯子獅子」についての歴史などをかいつまんで紹介しましょう。
「大脇梯子獅子」の始まりは約400年前といわれていて、現在の名古屋市中村区大秋町あたり、“則武之庄大秋村”から伝わったというのが定説です。
「大脇神社」での祭礼奉納として“梯子獅子”が文献に登場するのは宝暦年間(1751年~1764年)からで、大脇村の庄屋相羽養元が大いに奨励したため盛んになったと伝えらています。
言い伝えによると、この大脇村の庄屋さん、相羽養元は自分の邸内に櫓を立て、若者を集めて練習させたというのですから大した熱の入れようだったのですね。
しかし、この頃はまだ豊作の年だけに行われていただけで、凶作の年ともなれば祭りなどにかまけてはいられなかったのでしょう。

一時期、中断期間はありましたが、明治22年に“梯子獅子”の中断を嘆く同士が集まり、復興をめざし、後継者の育成に努力を重ねた結果復活をとげ、現在も「大脇梯子獅子保存会」によってその芸が守られているそうです。
団結と努力、これが伝統芸能を守り継承していくには欠かせないキーポイントなのですね。



それでは、この日の祭り風景へとご案内しましょう。
私が、会場になっている「大脇神明社」に到着したのは午前10時半。
はっきりとした日程を把握してなかった私は、とりあえず午前中に行けば間に合うのだろうと家を出たのですが「大脇神明社」は、まだ閑散としたものでした。
どうやら早すぎたようです(-_-;)
しかし、会場になっている境内には、すでに丸太で組まれた高くてしっかりとした櫓が組まれていて、やがて始まる“梯子獅子”に私の期待感は高まりましたよ。



見渡せば、櫓と舞台の前には観客席用のビニールシートが敷かれています。
フムフム、ここに座って観るのね、とひとり納得して、とりあえず社務所に向かい何時からの開始なのか尋ねたところ、午後1時からとのこと。
まだ2時間半も先なのか・・・
仕方ないのでお参りを済ませ、辺りを散策したり写真を撮ったりしていると、次々と軽自動車が現れ、座布団や毛布、小さなテーブルにお弁当や飲み物を運んではビニールシートの上に並べては消えていきます。
・・・ん?どうやら場所取りのようです。
そうなのか!あのビニールシートは観客用というより、地元の人の宴会席なのですね。
地元の人の地元の祭り、別に観光客など気にしない!この感じが決して嫌じゃありません。
むしろ凄く好きともいえるかな、だって、それだけ自分たちのお祭りを楽しんでいるっていうことですから、この祭りは消えて無くならないと安心できますもの。


観光客は、フラ~っと来てフラ~っと消えるだけの人達ですものね。
“祭りや伝統”を守るには、いろいろ方法があるけれど、大々的に宣伝して多くの人に知ってもらうことばかりが優先ではないのですね、こんな感じのローカルな雰囲気も大事にしたいなぁ~などと、やや矛盾したことを考える私なのですが・・・どうなんでしょう(^_^.)

まぁ、それはそれとして2時間半、仕方ないので車でお昼寝(-_-)zzz
開始時間も間近となり、駐車場も賑やかになってきたので出てみたのですが、子供たちが露店に群がっているばかり・・・ほかは、私のようなとカメラを持った“ヨソモノ”ばかりです。
いよいよ祭りが始まったのに、場所取りをした方々は一向に来ないのです。



ビニールシートの宴会席には、ポツリポツリ2~3人が座っているだけです。
まあ、それは地元の人あっての祭りですし、前列でカメラを構えてジャマになってもいけないので文句はないのですが、観客が少なすぎては演じている人に気の毒のような気がします。
しかし、そのうち理由が解ってきました。
この祭礼は、午後1時から始まり、夜8時頃まで続くという長丁場なのだそうです。
宴会席が盛り上がるのは陽も傾く頃。
同じ演技は繰り返されるので、始めから見ていなくても大丈夫らしいのでした。


梯子獅子「種まき」

さて、“獅子舞”はというと、地元の子供たちによる祭囃子から始まりました。
軽妙な祭囃子に、これから始まる“梯子獅子”への期待が高まります。
続いて舞台の上では御祓い神事が行われ、いよいよ獅子舞が始まります。
最初は、“幣舞(ぬさまい)”と呼ばれる獅子舞から始まりました。
この獅子舞は舞台の上でのみ行われ、梯子に登るわけではありません。
最初に行われる獅子舞ということで、悪魔払いの意味があるそうです。
“幣舞”は、“ばばさ獅子”という獅子頭が用いられ、幣(ぬさ)と呼ばれる祭具と鈴を持ち静かに舞われます。
こういった順番にも祭祀としての意味があるのですね。
次は、“歌舞”と呼ばれる獅子舞で、これも梯子には登りません。
“幣舞”に比べると少し激しい舞になります。



そして、いよいよ“梯子獅子”の登場です。
獅子頭は“おとこ獅子”と呼ばれるもので、先ほどの“ばばさ獅子”の獅子頭より少し小振り。
横で演奏される軽妙なお囃子にのって、赤と緑の胴幕で現れた獅子は軽業のようなコミカルな動きをします。
薄い胴幕は、高いところでの演技において視界をよくするためと少しでも軽いほうが動きの妨げにならないためでしょう。


ひとしきり舞台でのコミカルな演技を披露した後、51段の梯子(地上12m)を登っていくのですが、なんと一人を肩車に載せたままで登っていくではないですか(@_@;)
梯子を登る間にも片手を離して手を広げたり、お囃子に合わせて身体を揺らしたり、それはハラハラドキドキの連続です。
頂上の丸太に乗り移ると、踊りながら隅から隅へと軽妙に動き回ります。
そして、クライマックスの「藤下り」という技を披露。
「藤下り」とは、二人揃って丸太に足をかけ手を離して宙ぶらりんになる芸で、観客からは悲鳴のような感嘆の声があがり、その後拍手喝采が沸き起こります。
私も一瞬ヒヤリと背中に寒いものを感じ、無意識に声をあげていました(~_~;)
とにかく凄い!二人の息が合ってないと決して出来ない演技です。


歌舞「剣呑み」
もう、この時点で私は興奮状態、カメラなんて撮ってる場合じゃない!って感じです。
やがて櫓の上での演技が終わると、舞台右側に用意された2本の丸太の滑り台を踊りながら滑って降りてくるのですが、これもまた珍しい光景で楽しくなってしまいます。
いや~素晴らしいです。
上手く説明できないのがもどかしい・・・(>_<)
これは、ぜひ皆さんにも見せてあげたいです!



その後は、また“立ち舞”や“歌舞”の獅子舞が続くのですが、“梯子獅子”を見てしまったあとでは、なんだかつまらく感じてしまうのが演じ手の皆さんに申し訳ないのですが・・・(-_-;)
そして2回目梯子獅子の大技は、「波打ち」と呼ばれる芸で、一人が丸太の上でもう一人の身体をしっかり掴み、一人が波打つように身体を前に突き出すといった、これまたスリル満天の演技(@_@;)
またもや拍手喝采です。
この頃になると、地元の方も三々五々集まって来て、会場も賑やかな雰囲気になっていき、掛け声もかかり、おひねりも飛び交います。
いよいよ、祭りらしくなってきましたよ、楽しいですね。

“梯子獅子”の後は、また“立ち舞”や“歌舞”といった感じで交互に進行していきますが、やっぱり花形は“梯子獅子”なんでしょうね。
地元の皆さんも飲んだり食ったりに忙しいようすです。
そして、3回目の“梯子獅子”です。
3回目の“梯子獅子”の大技は「種まき」、肩車をしたまま下の人が片手片足でバランスをとって、身体を開いて種を蒔くしぐさをするのです。
何回も簡単そうにちょちょいとやってのけてしまうのですが、見ている方は、もう、ヒヤヒヤものですよ。
一応下にはネットが張ってはありますが、それでもやっぱり怖いです。
見ているだけなのに怖いのです。
演じている人達は平気なのかなぁ~

やっぱり日頃の練習が大事なのでしょうね。
祭りは、まだまだ夜まで続きますが、ひと通りの演技を見せていただいたので、この日は帰ることにしましたが、いや~、今回の祭りも素晴らしかったです。
手に汗握るスリルと迫力、なかなかこんなお祭りには出会えませんよ。

補足ですが、愛知県には、県指定重要無形民俗文化財として、もうひとつ知多市で行われる「朝倉梯子獅子」と呼ばれる“梯子獅子”があります。
どちらかといえば、「大脇梯子獅子」よりも知名度は高いのですが、今回私は敢えて「大脇梯子獅子」を選びました。
その理由は、県内の人にもあまり知られていないこと、そして、より地元の祭りといった風情を強く感じられるのではないかという期待からです。
そして、その期待を裏切らない地元に密着したお祭りでした。
まさに、隣近所の人たちが寄り集まって一年の労をねぎらい、互いに食べて飲んで楽しむ、そんな風情たっぷりなお祭りでしたよ。
どうですか?
皆さんも見たくなったでしょう?

私も次にまた、このお祭りを見る機会があったら、その時はお弁当持参でビニールシートの桟敷に座って楽しんでみたいなぁ~なんて思ってしまいましたよ。

今回も長々と書いてしまいましたね。
最後までお付き合い下さってありがとうございました。
ではまた、次のお祭りでお会いしましょう(^o^)/